Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.5.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その105

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  一 決心 (9)
 改 訂 版


挙兵の原因
に関する誤
伝

挙兵の理由及び目的は上記の事実で尽きてゐると思ふ、然るに暴 動の直接原因として、平八郎が養子格之助の手を経て、救済策を 山城守に勧めた所、その採用を得なんだ事と、平八郎から貧民救 済の資金借入方を鴻池屋以下に申込んだ所、彼等は一旦承諾しな がら、後日に之を拒絶した事とを挙げてあるものが多い、細葉に 渉つては少々宛の相違はあるが、此説の大要を言ふと、平八郎は 富商大家身代百貫目につき、一貫目づゝの割合を以て出銀させ、 之を以て細民の難渋を救はうとする仕法書わ作り、格之助を以て 山城守へ差出したが、採用の景色も見えず、再三申立てたれど一 向承引なく、其後強ひて格之助をして申立てしめたる所、山城守 より平八郎乱心致したりやといはれ、格之助は返す言葉もなく、 其儘退きて養父に語りしに、落涙数行にて、此上は致方ありと言 つたとあるが、与力の隠居が奉行より下問ありしにもあらざるに、 再三自分の意見を申立つるは僭越に近く、右様なことは有さうで ない、又鴻池屋以下に救済資金の借用を申込んだ所、いづれも一 旦は承知したが、何分大金の事故一度奉行所の許可を得るが宜か らうと、何某が総代となつて出頭したら、山城守の言葉に、成程 貸しても差支は無い。併し与力の隠居にすら莫大の金子を貸すと あらば、此後江戸より御用金の命ありし場合に、一言半句も言は さぬぞよと止を刺れ、吃驚して平八郎との約束を変替した、大塩 一党が鴻池屋以下の大家を焼払つたは此故であるといふが、仮に 平八郎が金談を申込んだのを事実としても、それを承諾するに町 奉行の内意を伺ふとは聞取れぬ話で、第一にせよ、第ニにせよ、 平八郎が直接に救済策を立てたといふことは、一与力の隠居たる 彼の身分から見て、不合理に思はれるのである。

    新衣着得祝新年羹餅味濃易下咽、 忽思城中多菜色、一身温飽愧于天、 一身温飽愧于天、隠者寧無心救全、 在郷隣生飜口笑、黙聴大学卒章篇、               (洗心洞詩文)

■挙兵の原因に関する伝説  挙兵の理由及び目的は上記の事実で尽きてゐると思ふ。然るに 暴動の直接原因として、諸書に平八郎が養子格之助の手を経て、 救済策を山城守に勧めた所、その採用を得なんだことと、平八郎 及び同志から貧民救済の資金借入方を鴻池屋以下に申込んだ所、 彼等は一旦承諾しながら、後日に之を拒絶したこととを挙げてあ る。さうした第一の救済策は忰格之助を以て山城守へ差出し、そ の後再三穏に許否の指令を促し、最後に強ひて返答を求めしめた 所、山城守から平八郎乱心致したりやといはれ、格之助は返す言 葉もなく、退いて有儘を平八郎に語るや、彼は落涙数行に及び、 この上は致方ありと言つたとある。また第二の資金救済借入の件 は、鴻池屋以下いづれも一旦は承知したが、何分大金の事故町奉 行所の許可を得て置く方が宜からうと、何某が総代となつて出頭 したら、山城守の言葉に、成程貸遣はしても差支は無い。併し与 力の隠居にすら莫大の金子を貸遣はすとならば、この後江戸から                           トドメ 御用金の申渡があつた場合に、一言半句も言はさぬぞよと止を刺 され、吃驚して平八郎との約束を変改した。大塩一党が鴻池屋以 下の大家を焼払つたのはこの理由だとある。然らば平八郎の献策 は何うかといふと、一書には、大阪の米価を釣上げて諸家の廻米 を促し、廻米到着後如何様とも手段を廻らして下落せしめるとば かりあつて、肝要の手段が記してない。また一書には鴻池屋以下 十二軒より毎軒五千両合計六万両を提出せしめ、之を以て八月半 頃迄の窮民賑恤に充て、爾来一石一匁の運上を取り、三ケ年にて 完済すといふだけで、之も委しいことは書いてない。その外平八 郎が廻米額の増加を計り、富商豪家に対して、諸家に素銀即ち担 保なしの貸附を廃するやう依頼し、その承諾を得た所、鴻池屋が 違約して、愈々手広く素銀の貸附を行つたとか、三井家に寄進帳 を持つて往つて、初筆に一万両と書いて貰つた所、三井が後で変 改したとか、色々様々で一向統一する所がない。町奉行からまた 富商豪家から意外な態度に出られて、平八郎が憤慨したといふ結 果だけが一致して、その結果に至るまでの経路が区々として一致 しないのは、不審である。以上の諸説は大塩一党の挙兵に対する 同情が造り出した伝説ではなからうか。


石崎東国『大塩平八郎伝』 その95
「大塩平八郎」目次3/ その104/その106

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