Я[大塩の乱 資料館]Я
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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その108

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  二 準備 (3)
 改 訂 版


火薬製造 
















作兵衛

玉造口同心藤重良左衛門の亡父孫三郎は中嶋流の砲術家で、良左 衛門と格之助とは相弟子である、其縁によつて平八郎は良左衛門 父子を我邸に招き、門人中有志の者に砲術を学ばせたが、翌春は 堺七堂ケ浜にて丁打を試むるにつき手伝せよと命じ、九月中より 済之助・淵次郎・良左衛門・梶五郎・郷左衛門、又塾生にては八 十次郎・英太郎、いづれも火薬・棒火矢・炮碌玉等の製造に着手 し、仕法に秘密ありと唱へ、製造場に宛てたる平八郎の隠居所・ 格之助の居間附近・又は庭先は、充分戸締をして一切人出入を禁 じた、焔硝や鉛の原料の買入方は庄司義左衛門の役目で、彼は丁 打修行の為だとか、他人に頼まれたとか、何とか口実を作り、十 月から翌年正月へかけ、南本町二丁目高上基兵衛方にて、白焔硝 五十五斤・薩摩硫黄八斤半・棹鉛壱貫目・又同三斤・灰五百目・ 鉛三貫目・鵜目硫黄八斤・鷹目硫黄三斤・合薬五斤・松脂三斤を、 代銀三百九十五匁にて追々に買調ヘ、又放火投火等に用ふる葭の 買入方を命ぜられ、之は白宅の垣根の普請に用ふる積で買調へた 分を大塩邸に持参し、指図の如く二尺計に切分けた、火矢に用ふ る棒は正月某日平八郎から天満北木幡町の大工作兵衛に誂へ、寸 怯恰好につき特別の注文があるから当方へ来て細工して呉れよと いひ、作兵衛に於ても承知の上大塩邸へ赴き、日夜勉強して削立 てたは、松又は樫にて長さ六尺太さ尺径二寸計の棒二拾本、長三 尺太さ同様の棒十本であつたが、其後両方とも弐尺四五寸に挽切 縮らせた、作兵衛は仕事が忙しいので多分は大塩邸に寝泊し、二 月十八日の晩も同邸に泊つたので、翌日は否応言はさず暴動の仲 間へ引入れられた。

 丁打用として製造せられたにせよ、その火薬は挙兵の際に使用 せられたのである。玉造口同心藤重良左衛門の亡父孫三郎は中嶋 流の砲術家で、良左衛門と格之助とは相弟子である。その縁故に よつて平八郎は良左衛門及び同人忰槌太郎を自邸に招き、門人中 有志の者に砲術を学ばせたが、明春は堺七堂ケ浜にて丁打を試む るにつき手伝せよと命じ、九月中より済之助・淵次郎・良左衛門・ 梶五郎・郷左衛門及び塾生八十次郎・英太郎をして、火薬・棒火 矢・炮碌玉等を製造せしめ、製法に秘密ありと唱へ、製造場に充 てた平八郎の隠居所・格之助の居間附近・又は庭先は、充分戸締 をして一切人出入を禁じた。焔硝や鉛の原料の買入方は庄司義左 衛門の役目で、彼は丁打修行の為だとか、他人に頼まれたとか、 何とか口実を作り、十月から翌年正月にかけ、南本町二丁目高上 基兵衛方にて、白焔硝五十五斤・薩摩硫黄八斤半・棹鉛壱貫目・ 同三斤・灰五百目・鉛三貫目・鵜目硫黄八斤・鷹目硫黄三斤・合 薬五斤・松脂三斤を、代銀三百九十五匁にて追々に買調ヘ、又放 火投火等に用ふる葭は、白宅垣根の普請に用ふる積で買調へた分 を大塩邸に持参し、指図の如く二尺計に切分けた。火矢に用ふる 棒は正月某日平八郎から天満北木幡町の大工作兵衛に誂へ、寸怯 恰好につき特別の注文があるから当方へ来て細工して呉れよとい ひ、作兵衛も承知の上大塩邸へ赴き、日夜勉強して削立てたは、 松又は樫にて長さ六尺太さ径二寸計の棒二拾本、長三尺太さ同様 の棒十本であつたが、その後両方とも弐尺四五寸に切縮めさせた。 作兵衛は仕事が忙しいので多分は大塩邸に寝泊し、二月十八日の 晩も同邸に泊つたので、翌日は否応言はさず隊列の中へ引入れら れた。


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