施行
町奉行所の
詰問
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巻首にコロタイプ版として掲げてある施行の引札には上部に相渡
の黒印があるから、之は壱朱の施与金と引換へた分だ、平八郎の
蔵書の夥しかつたことは第二章の第一及第四にあるが、其書類を
全部売却し、壱万軒に金壱朱宛を施すといへば、総計六百弐拾両
余となる算当で、随分の部数冊数と思はれる、河内屋は書林の一
党で、喜兵衛は北久太郎町五丁目、新次郎は同四丁目、記一兵衛
は南本町五丁目、茂兵衛は博労町に住し、以上四人の周旋で、安
堂寺町五丁目の本屋会所に於て、二月上旬から施行に着手した、
凡そ当時多人数に米銭を施すには、先づ町奉行所の認可を要する、
然るに平八郎からは一向届出が無いので、跡部山城守から一応詰
問に及んだ所、隠居の身分故別段御届にも及ぶまいと存じたとて
不注意を謝し、今一日にて終りとなるべきも、最早中止致すべき
やと折返して伺出でた、施与金の調達方も判明し、施行も今一日
となり、殊に新奉行堀伊賀守利堅到着早々故、事荒立つにも及ぶ
まじと、山城守は黙許した、本屋会所にての施行は之にて終つた
が、引続き挙兵の日に至るまで、平八郎は或は天満の自邸に於て
手ら金銭を恵み、或は門人に託して之を施し、其都度若し天満方
面に出火があつたら必ず駈付けくれよと伝へた。
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施行の引札は写真版として掲げた。上部に相渡の黒印があるから、
之は施行の金と引換へた分だ。平八郎の蔵書の夥しかつたことは
第二章第一及び第四にあるが、壱万軒に金壱朱宛を施すといへば、
総計六百二十両余となる算当だから、珍本奇籍が必ず多くあつた
らうと思ふが、売払が咄嗟のためか、目録が残つて居らぬ。河内
屋は書林の一党で、喜兵衛は北久太郎町五丁目、新次郎は同四丁
目、記一兵衛は吉兵衛で南本町五丁目、茂兵衛は博労町に住し、
以上四人の周旋で、安堂寺町五丁目の本屋会所において、二月上
旬から施行に着手した。凡そ当時多人数に米銭を施すには、先づ
町奉行所の認可を要する。然るに平八郎からは一向届出が無いの
で、跡部山城守から一応質問に及んだ所、隠居の身分故別段御届
にも及ぶまいと存じたとて不注意を謝し、施行は今一日にて終は
りとなるべきも、中止致すべきやと折返して伺出でた。金の調達
方も判明し、施行も今一日となり、殊に新奉行堀伊賀守利堅到着
早々故、事荒立つにも及ぶまじと、山城守は黙許した。施行は六
七八の三日間行はれたといふが、日々の施行高や、実際の模様を
書いたものは無い。
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