Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.7.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その111

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  二 準備 (6)
 改 訂 版


施行















町奉行所の
詰問

巻首にコロタイプ版として掲げてある施行の引札には上部に相渡 の黒印があるから、之は壱朱の施与金と引換へた分だ、平八郎の 蔵書の夥しかつたことは第二章の第一及第四にあるが、其書類を 全部売却し、壱万軒に金壱朱宛を施すといへば、総計六百弐拾両 余となる算当で、随分の部数冊数と思はれる、河内屋は書林の一 党で、喜兵衛は北久太郎町五丁目、新次郎は同四丁目、記一兵衛 は南本町五丁目、茂兵衛は博労町に住し、以上四人の周旋で、安 堂寺町五丁目の本屋会所に於て、二月上旬から施行に着手した、 凡そ当時多人数に米銭を施すには、先づ町奉行所の認可を要する、 然るに平八郎からは一向届出が無いので、跡部山城守から一応詰 問に及んだ所、隠居の身分故別段御届にも及ぶまいと存じたとて 不注意を謝し、今一日にて終りとなるべきも、最早中止致すべき やと折返して伺出でた、施与金の調達方も判明し、施行も今一日 となり、殊に新奉行堀伊賀守利堅到着早々故、事荒立つにも及ぶ まじと、山城守は黙許した、本屋会所にての施行は之にて終つた が、引続き挙兵の日に至るまで、平八郎は或は天満の自邸に於て 手ら金銭を恵み、或は門人に託して之を施し、其都度若し天満方 面に出火があつたら必ず駈付けくれよと伝へた。

 施行の引札は写真版として掲げた。上部に相渡の黒印があるから、 之は施行の金と引換へた分だ。平八郎の蔵書の夥しかつたことは 第二章第一及び第四にあるが、壱万軒に金壱朱宛を施すといへば、 総計六百二十両余となる算当だから、珍本奇籍が必ず多くあつた らうと思ふが、売払が咄嗟のためか、目録が残つて居らぬ。河内 屋は書林の一党で、喜兵衛は北久太郎町五丁目、新次郎は同四丁 目、記一兵衛は吉兵衛で南本町五丁目、茂兵衛は博労町に住し、 以上四人の周旋で、安堂寺町五丁目の本屋会所において、二月上 旬から施行に着手した。凡そ当時多人数に米銭を施すには、先づ 町奉行所の認可を要する。然るに平八郎からは一向届出が無いの で、跡部山城守から一応質問に及んだ所、隠居の身分故別段御届 にも及ぶまいと存じたとて不注意を謝し、施行は今一日にて終は りとなるべきも、中止致すべきやと折返して伺出でた。金の調達 方も判明し、施行も今一日となり、殊に新奉行堀伊賀守利堅到着 早々故、事荒立つにも及ぶまじと、山城守は黙許した。施行は六 七八の三日間行はれたといふが、日々の施行高や、実際の模様を 書いたものは無い。


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