Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その113

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  二 準備 (8)
 改 訂 版


人夫   

騒乱には群集を要する、群集の中には主謀者の真意を解する者も 解せぬ者もあらうが、それは差支無い。彼等は潮流に従ひ、群を 為して泳ぐ魚属のやうなもので、魚一尾づゝを離して随意の行動 を取らしめたなら、或は右せんとし、或は左せんとするもあるが、 一団となつては潮流のまに\/同一方針に進む計である、檄文に は摂・河・泉・播四国の小前百姓及田畠を所持するも生計困難な る百姓輩、大阪に騒動起ると聞かば早速駈集まるべく、其中にて 器量才力ある者は夫々取立て、不道の者共を征伐する軍役にも遣 ひ申すべしとあるが、更に切実なる手段として、平八郎並に其党 員は施行金を渡すに臨み、天満に火事あらば必ず駈付けよと命じ たのである、されば平八郎の事を発するに方り、般若寺村百姓及 穢多百余人は卯兵衛の催促に応じ、尊延寺村百姓数十名は才次郎 自ら之を卒ゐ、猪飼野村守口町百姓百数十名は司馬之助孝右衛門 の約に従ひ、其他沢上江村・友淵村・稗島村・植松村・北島村・ 弓削村等、平八郎より施行金を請けし諸村の百姓共は、多人数天 満に駈付け、若しくは駈付けんとしたのである、卯兵衛は般若寺 村の日雇稼で、忠兵衛の口入により二月上旬から大塩邸に寝泊し て居つた、之は邸内の溜池を埋めると号して雇入れた人夫の一人 であるが、実は軍役にしようする目的で、彼等四十余名は当日平 八郎に一喝せられ、唯々として其命に従つた。

 騒乱には群集を要する。群集の中には主謀者の真意を解するも あり、解せぬもあらうが、それは差支無い。彼等は潮流に従ひ、 群を為して泳ぐ魚属のやうなもので、魚一尾づつを離して随意の 行動を取らしめたなら、或は右せんとし、或は左せんとするもあ らうが、一団となつては潮流のまに\/同一方針に進む計である。 檄文には摂・河・泉・播四国の小前百姓及び田畠を所持するも生 計困難なる百姓輩よ、大阪に騒動起ると聞かば早速馳集まれ。そ の中にて器量才力ある者は夫々取立て、不道の者共を征伐する軍 役に使用せんとあるが、更に切実なる手段として、平八郎並びに その党与は施行札を渡すに臨み、天満に火事あらば必ず駈付けよ と命じたのである。されば平八郎の大事を発するに方り、般若寺 村百姓等百余人は卯兵衛の催促に応じ、尊延寺村百姓数十名は才 次郎自ら之を率ゐ、猪飼野村守口町百姓百数十名は司馬之助孝右 衛門の約に従ひ、その他沢上江村・友淵村・稗島村・植松村・北 島村・弓削村等、平八郎より施行金を請けた諸村の百姓共は、多 人数天満に駈付け、若しくは駈付けんとしたのである。卯兵衛は 般若寺村の日雇稼で、忠兵衛の口入により二月上旬から大塩邸に 寝泊して居つた。大塩邸では邸内の溜池を埋めると号して卯兵衛 以下人夫四十余名を雇入れてゐたが、彼等は当日平八郎に一喝せ られ、唯々としてその命に従つた。


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