吉見九郎右
衛門の密訴
河合郷左衛
門出奔
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九郎右衛門も助次郎同様山城守の処置に対し、少からず不快であ
つた所へ、平八郎から一味徒党の勧誘を受け、去年十月異議なく
同意に及び、郷左衛門と共に砲車三輌の誂方に奔走した位である、
然るに同人の訴状には「実心不同意勿論」とか、「其場を飾り尤
之言葉を合申答」とか、「右体之企実心決而同意不仕」とか麗々
しく書いてあるのみならず、平八郎の不倫一件を掲げ、「俗人に
も相劣り候不埒の儀」と罵つてあるが、決して左様とは思はれぬ、
彼は連判の当時病気引籠中であつたが、其後良左衛門へ面会した
折、自分は病気で一大事には随身致しかぬる故、自殺して同志へ
御断をすると言つたは、表面から見れば甚だ潔いが、実は加盟を
脱しやうとする臆病心から起つたことで、正月二十七日郷左衛門
が三男謹之助を連れて出奔したは、彼が平八郎から何か密談を受
けた時返答が渋り、傍に有合せた棒火矢で打擲された為と聞き、
愈々反忠の決心を固めたのであつた、二月十三日平八郎の用事で
外出の途中に立寄つた忰英太郎の話によると、異変の暴発を近々
らしく思はれるので、父は莫大の御恩沢を忘れ、暫時ながらも謀
叛に加担したは恐入つた次第である、天罰の程恐しく存じて改心
した上は、汝は八十次郎と相談の上、証拠物となるべきものを竊
出し、其他何事によらず見聞次第早速内通せよと言含め、英太郎
帰塾後大略今回の顛末を書記し、我子より一左右あり次第直に出
訴しやうとの心構であつた、
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九郎右衛門も助次郎同様山城守の態度に対し、少からず不快を
懐いて居る所へ、平八郎から一味徒党の勧誘を受け、異議なく同
意に及び、郷左衛門と共に砲車三輌の注文方に奔走した位である。
然るに同人の訴状には「実心不同意勿論」とか、「其場を飾り尤
之言葉を合」とか、「右体之企実心決而同意不仕」とか麗々しく
書いてあるが、若し最初から反対なら、敢然死を以て平八郎を諌
むべきではないか。彼は連判の当時病気引籠中で、その後良左衛
門へ面会した折、自分は病気で一大事には随身致しかねる故、自
殺して同志へ謝すると言つたは、表面から見れば甚だ潔いやうだ
が、実は加盟を脱しようとする臆病心から起つたことであらう。
彼は郷左衛門が平八郎から何か密談を受けた時、返答に渋り、傍
に有合せた棒火矢で打擲され、正月二十七日三男謹之助を連れて
出奔したと聞き、郷左衛門に同情してゐる。それから二月十三日
平八郎の用事で外出の途中に立寄つた忰英太郎の話により、九郎
右衛門は異変の暴発を近々らしく感じ、汝は郷左衛門の忰八十次
郎と相談の上、証拠物となるべきものを持参せよ、また異変の儀
見聞次第早速内通せよと言含めて帰塾せしめた。
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