Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.23

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その12

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (1)
 改 訂 版


目安役並に証
文役



天保元年辞
職

文政元年六月祖父政之丞歿してて平八郎家督を継ぎ、同三年及 七年の役人鑑には目安役並に証文役中に其名を列し、十年の役 人鑑には吟味役に進み、天保元年には辞職して仕舞うた、役人 鑑は年々二回の出版物であるから、之が悉く整つて居ると、役 付の次第が明白になるのであるが、残念ながら只今はこれ丈外 解らぬ、されば彼が真の在職は前後を通じて僅かに十三年に過 ぎず、役付としては寺社役・川役・地方役、之を三役といつて、 重なる位置であるが、それにもならずに退いたのである、併し 在職中の功績は中々に多い、平八郎自ら(一)耶蘇の邪党を京摂 の間に捕索したる事、(二)猾吏姦卒を糾察したる事、(三)浮屠 の汚行を沙汰したる事の三件を挙げ、以上は実に官長高井公の 知遇に感憤し、禍福利害を度外に措いて邁進した結果であると 言つて居る、高井公は即東町奉行高井山城守実徳を指すので、 三件共に文政文政十年以後即ち平八郎が吟味役になつてからで あるが、其外にも色々の逸話が伝はつて居る、尤も逸話伝説の 常として年月を示しては無いが、多分三件以前の事と推測せら るゝ。

定町廻  平八郎は文化十四年に定町廻となり、翌十五年即ち文政元年 には日安役并証文役に、文政九年には吟味役極印役に進み、翌 十年には盗賊役唐物取調定役を加ヘ、さうして文政十三年即ち 天保元年には辞職してしまつた。文化十四年が果して彼の最初 の役附であるか、また最後の役附は、或書に記した通り、目附 役・地方役・盗賊役・唐物取締・諸御用調役であつたか。年二 回出版の御役録が全部整つて居れば明白になるのであるが、残 念ながら今はこれ丈外解らぬ。これによれば彼の在職は前後を 通じて僅かに十四年に過ぎず、与力の役附としては寺社役・川 役・地方役を三役といつて、最も重要なものとしてゐるが、そ の一つの地方役になると間も無く退いたのである。  平八郎が在職中に取扱つた三大事件は、三つとも文政十年以 後即ち平八郎が吟味役になつてからの事で、委細は後文に譲り、 先づそれ以外に伝はつてゐる逸話伝説の数條を述べよう。尤も 逸話伝説の常として多くは年月を示して無く、また真偽も容易 に決し難いが、中には年代の分つてゐるものや、事実の正確を 立証し得るものもある。


「大塩平八郎」目次/ その11/その13

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ