在職中の逸
話
其一
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その第一は平八郎の見習時代に、或日同僚が公文書に印形を捺
さうとして頻に当惑の気色があるのを見て、如何なされたかと
問ふたら、今朝印形を首に繋けて来たと思つたのに見えぬとい
ふのを聞いて、貴公は印形を首に繋けるを知つて、心に繋ける
を御承知ないからと言つたといふことであるが、或説には之は
同僚ではなく、某村の庄屋が訴状ら捺印するのを忘れた時、叱
責した言葉だとある、
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その一
第一は平八郎の見習時代に、或日同僚が公文書に印形を捺さ
うとして頻に当惑の気色があるのを見て、如何なされたかと問
ふと、今朝印形を首に繋けて来たと思つたのに見えぬといふの
を聞いて、貴公は印形を首に繋けるのを知つて、心に繋けるの
を御承知ないからと言つたといふことであるが、或書には之は
同僚に対してではなく、某村の庄屋が無調印の訴状を差出した
時、叱責した言葉だとある。
その二
第二は平八郎は玉造口与力柴田勘兵衛に佐分利流の槍術を学
び、印可を得たと言はれる。兵庫勤番中、同僚に唆かされ、姫
路藩の宝蔵院流槍術指南番と立合つた所、相当の成績であつた
と見え、聊か得意になつてその旨を師匠に報じた所、他流試合
をするとは以ての外だといつて散々戒められたので、平八郎は
平謝りに謝つた。本件に関する平八郎の手紙二通が柴田家に現
存してゐるから、之は事実だ。
その三
第三は平八郎が定町廻勤役中、市中に頻々盗難がある。調べ
て見ると何うも尋常の盗賊の遣口で無い。平八郎は多分これは
海賊の仕業であると睨み、先づその首領を捕ヘ、その口から部
下数十名が一商船に乗つて近海に碇泊してゐることを知り、彼
等を一網打尽したといふことである。
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