Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その13

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (2)
 改 訂 版

在職中の逸
話
其一

その第一は平八郎の見習時代に、或日同僚が公文書に印形を捺 さうとして頻に当惑の気色があるのを見て、如何なされたかと 問ふたら、今朝印形を首に繋けて来たと思つたのに見えぬとい ふのを聞いて、貴公は印形を首に繋けるを知つて、心に繋ける を御承知ないからと言つたといふことであるが、或説には之は 同僚ではなく、某村の庄屋が訴状ら捺印するのを忘れた時、叱 責した言葉だとある、

その一  第一は平八郎の見習時代に、或日同僚が公文書に印形を捺さ うとして頻に当惑の気色があるのを見て、如何なされたかと問 ふと、今朝印形を首に繋けて来たと思つたのに見えぬといふの を聞いて、貴公は印形を首に繋けるのを知つて、心に繋けるの を御承知ないからと言つたといふことであるが、或書には之は 同僚に対してではなく、某村の庄屋が無調印の訴状を差出した 時、叱責した言葉だとある。 その二  第二は平八郎は玉造口与力柴田勘兵衛に佐分利流の槍術を学 び、印可を得たと言はれる。兵庫勤番中、同僚に唆かされ、姫 路藩の宝蔵院流槍術指南番と立合つた所、相当の成績であつた と見え、聊か得意になつてその旨を師匠に報じた所、他流試合 をするとは以ての外だといつて散々戒められたので、平八郎は 平謝りに謝つた。本件に関する平八郎の手紙二通が柴田家に現 存してゐるから、之は事実だ。 その三  第三は平八郎が定町廻勤役中、市中に頻々盗難がある。調べ て見ると何うも尋常の盗賊の遣口で無い。平八郎は多分これは 海賊の仕業であると睨み、先づその首領を捕ヘ、その口から部 下数十名が一商船に乗つて近海に碇泊してゐることを知り、彼 等を一網打尽したといふことである。


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