与五郎父子
の逃亡
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伊賀守は山城守から淵次郎斬捨の通知を受け、組与力同心を従へ
て東番所へ赴き、猶彼是と手当の相談を遂げ、暁六ッ時頃鈴木町
の代官根本善左衛門及谷町二丁目の代官池田岩之丞に平八郎謀反
の次第を告げ、善左衛門には在々の取締、岩之丞には天満の東照
宮建国寺の防禦を依頼した。然し之で充分と言へぬ、手当の整ふ
までは何様にかして破裂を防がねばならぬ、其一手段として山城
守は組与力大西与五郎が平八郎の伯父に当るを利用し、其方平八
郎宅へ往つて彼に切腹を申付け、不承知とあらば彼と 刺て死ね
と使を以て申渡した、与五郎は折節病気引龍中であるので、養子
善之進は拙者養父に附添罷越しますと使者に返答し、養父に先立
ち大塩邸の附近まで駈付けたが、最早火炎盛に立上り、多人数槍
刀を携へて往来も出来ぬ始末、立戻つて与五郎に其趣を話すと、
親族に謀叛人出でては罪科脱れ難し、逃亡するに如かずと言つて、
善之進同道一旦西ノ宮まで落行き、更に後悔して大阪へ引還す時、
見咎められてはならずと、帯して居る刀を海中へ投込む等、武士
にあるましき卑怯の振舞があつたので、後日与五郡は遠島、善之
進は中追放を命ぜられた。
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伊賀守は山城守から淵次郎斬捨の通知を受け、組与力同心を従へ
て東番所へ赴き、彼是と手当の相談を遂げ、暁六ッ時頃鈴木町の代
官根本善左衛門及び谷町二丁目の代官池田岩之丞に平八郎挙兵の次
第を告げ、善左衛門には在々の取締、岩之丞には天満の東照宮建国
寺の防禦を依頼した。また山城守は破裂を未発に防ぐつもりで、使
を組与力大西与五郎の許に遣はし、その方平八郎方へ往つて彼に切
腹を申付け、不承知とあらば彼と刺交へて死ねと申渡した。これは
与五郎と平八郎とが伯父甥の間柄であるのを利用したのだが、生憎
与五郎は病気引龍中なので、養子善之進が拙者養父に附添罷越しま
すと返答し、養父に先立ち大塩邸の附近まで駈付けたが、最早火炎
盛に立上り、多人数槍刀を携へて徘徊し、往来も出来ぬ。立戻つて
その趣を与五郎に話すと、近親に謀叛人が出ては罪科脱れ難い、逃
亡するに如かずと言つて、善之進同道一旦西ノ宮まで落行き、更に
後悔して大阪へ引還す時、見咎められてはならずと、帯して居る刀
を海中へ投込む等、武士にあるまじき卑怯の振舞があつたので、後
日与五郡は遠島、善之進は中追放を命ぜられた。
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