Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.9.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その121

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  三 反忠 (6)
 改 訂 版


済之助逸す

兎に角淵次郎は十八歳を一期として敢ない最期を遂げ、その間に 済之助は奉行所の塀を乗越し、跣足の儘天満橋を渡つて大塩邸へ 逃帰つた、今井氏は代々惣年寄の家柄で、翁は其頃官之助といつ て居られた、十九日早朝山城守家来より、容易ならぬ義出来故、 消防人足を召連れ早速駈付けよといふ書面が届いたので、―消防 人足の指揮は惣年寄の役目の一つである―組頭に其旨を申渡し、 自分は火事羽織を一着に及んで今天満橋を南へ渡らうとしたら、 橋の上で済之助に出会つた、奉行所内の珍事を固より知る筈もな                    い官之助は何事ですかと声を掛けると、怪しからぬ事と答へて済 之助は行過ぎた、其時彼は跣足で刀を落差にしてゐたと史談会速 記録に見える、役所で執務中は脇差一本で居る筈の済之助が、此 混雑の際に、跣足で逃る際に、刀掛に掛けてある刀を差す丈の猶 予があつたか。若し実際に挿してゐたとすれば、余程肝の坐つた 男といはねばならぬ、今井翁の大塩平八郎の話は主として御自身 の実験談で、頗る珍重すべき史料ではあるが、天保八年から史談 会で談話をされた明治二十五年までを数へると五十五年になる、 其間多少記憶違もありはせぬかと思はれる。

兎に角淵次郎は十八歳を一期として果敢無い最期を遂げた。その 間に済之助は奉行所の塀を乗越し、跣足の儘天満橋を渡つて大塩 邸へ逃帰つた。今井翁は当時官之助といつて居られた。十九日早 朝山城守家来から容易ならぬ義出来故、消防人足を召連れ、早速 駈付けよといふ書面が届いたので――消防人足の指揮は惣年寄の 役目の一つである――組頭にその旨を申渡し、自分は火事羽織を 一着に及んで今天満橋を南へ渡らうとしたら、橋の上でバツたり 済之助に出会つた。固より奉行所内の珍事を知る筈もない官之助                は何事ですかと声を掛けると、怪しからぬ事と答へて済之助は行 過ぎた。その時彼は跣足で刀を落差にしてゐたと今井氏の談話に ある。役所で執務中は脇差一本で居る筈の済之助が、大混雑の際 に、跣足で逃げる際に、刀掛に掛けてある刀を差す丈の余裕があ つたか。若し実際に差してゐたとすれば、余程肝の坐つた男とい はねばならぬ。


〔今井克復談話〕その4


「大塩平八郎」目次3/ その120/その122

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