済之助逸す
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兎に角淵次郎は十八歳を一期として敢ない最期を遂げ、その間に
済之助は奉行所の塀を乗越し、跣足の儘天満橋を渡つて大塩邸へ
逃帰つた、今井氏は代々惣年寄の家柄で、翁は其頃官之助といつ
て居られた、十九日早朝山城守家来より、容易ならぬ義出来故、
消防人足を召連れ早速駈付けよといふ書面が届いたので、―消防
人足の指揮は惣年寄の役目の一つである―組頭に其旨を申渡し、
自分は火事羽織を一着に及んで今天満橋を南へ渡らうとしたら、
橋の上で済之助に出会つた、奉行所内の珍事を固より知る筈もな
ケ
い官之助は何事ですかと声を掛けると、怪しからぬ事と答へて済
之助は行過ぎた、其時彼は跣足で刀を落差にしてゐたと史談会速
記録に見える、役所で執務中は脇差一本で居る筈の済之助が、此
混雑の際に、跣足で逃る際に、刀掛に掛けてある刀を差す丈の猶
予があつたか。若し実際に挿してゐたとすれば、余程肝の坐つた
男といはねばならぬ、今井翁の大塩平八郎の話は主として御自身
の実験談で、頗る珍重すべき史料ではあるが、天保八年から史談
会で談話をされた明治二十五年までを数へると五十五年になる、
其間多少記憶違もありはせぬかと思はれる。
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兎に角淵次郎は十八歳を一期として果敢無い最期を遂げた。その
間に済之助は奉行所の塀を乗越し、跣足の儘天満橋を渡つて大塩
邸へ逃帰つた。今井翁は当時官之助といつて居られた。十九日早
朝山城守家来から容易ならぬ義出来故、消防人足を召連れ、早速
駈付けよといふ書面が届いたので――消防人足の指揮は惣年寄の
役目の一つである――組頭にその旨を申渡し、自分は火事羽織を
一着に及んで今天満橋を南へ渡らうとしたら、橋の上でバツたり
済之助に出会つた。固より奉行所内の珍事を知る筈もない官之助
ケ
は何事ですかと声を掛けると、怪しからぬ事と答へて済之助は行
過ぎた。その時彼は跣足で刀を落差にしてゐたと今井氏の談話に
ある。役所で執務中は脇差一本で居る筈の済之助が、大混雑の際
に、跣足で逃げる際に、刀掛に掛けてある刀を差す丈の余裕があ
つたか。若し実際に差してゐたとすれば、余程肝の坐つた男とい
はねばならぬ。
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