Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.10.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その125

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  四 悲劇 (1)
 改 訂 版


矩之允殺害
に関する伝
説

進軍に先ち大塩邸では一大悲劇が演ぜられた、それは平八郎が門 人大井正一郎をして、同門宇津木靖通称矩之允を残殺せしめたこ とである、普通の史料には矩之允を敬治とし、彼は天保五年故郷 彦根を出でゝ洗心洞塾へ入門寄宿し、其後長崎に遊び、運拙くも 暴挙の前々日、安治川へ着いて、天満の旧師の許へ帰つた、彼は 達て一味に加入せよと勧められたが、毛頭之を聴入れぬ、聴入れ ぬのみか其無謀を諌めた、併し一旦言出しては後へ退かぬ平八郎 であるから、活して還すことは無い、さりとて徒党に加れば、主 家の名を汚し、忠孝の途に外れる、止むを得ず一命を抛つて平八 郎及一味の輩へ諌言を加へやうと覚悟し、十八日の晩その趣を細 々と認め、僕の友蔵に持たせて故郷へ遣つた、案の如く平八郎は 今更敬治の言葉に従ふ筈はなく、却て正一郎に敬治を殺せと命じ たは、丁度敬治が厠に居た時である、其所で正一郎が追取刀で立 たうとしたら、イヤ刀では覚束ない、槍にて突留めよと平八郎か ら注意され、正一郎は今厠から出て手を漑ぎゐる敬治に対ひ、宇 津木氏、先生に一命をたまはれと、槍を扱いて突いてかゝれば、 敬治はと縁側に座し、自ら肌を寛げ、御存分にと答へて槍を受 けたと伝へ、友蔵に与へて故郷へ送つたといふ書面を載せてゐる、 宛然一場の芝居を見る様だ。

 進軍に先立ち大塩邸で一大悲劇が演ぜられた。それは平八郎が 門人大井正一郎をして、同門宇津木靖通称矩之允をを残殺せしめ たことである。普通の大塩伝には矩之允を敬治とし、彼は天保五 年故郷彦根を出でゝ洗心洞塾へ入門寄宿し、その後通長崎に遊び、 運拙くも暴挙の前々日、安治川へ着いて、天満の旧師の許へ帰つ た。彼は達ッて一味に加入せよと師より勧められたが、毛頭之を 聴入れぬ、否聴入れぬのみかその無謀を諌めた。併し一旦言出し ては後へ退かぬ平八郎であるから、活して還すことは無い。さり とて徒党に加はれば、主家の名を汚し、忠孝の途に外れる。一命 を抛つて今一度師及び一味の輩へ諌言を加へようと覚悟し、十八 日の晩その趣を細々と認め、僕の友蔵に持たせて故郷へ遣つた。 案の如く平八郎は今更敬治の言葉に従ふ筈はなく、却つて正一郎 に敬治を殺せと命じたは、丁度敬治が厠に居た時である。正一郎 が師命に応じ、追取刀で立たうとしたら、イヤ刀では覚来ない、 槍にて突留めよと平八郎から注意され、正一郎は今厠から出て手 を漑ぎゐる敬治に対ひ、宇津木氏、先生に一命をたまはれと、槍 を扱いて突いてかゝれば、敬治はと縁側に座し、自ら肌を寛げ、 御存分にと答へて槍を受けたと伝へ、友蔵に与へて故郷へ送つた といふ書面を載せてゐる、宛然一場の芝居を見る様だ。


「大塩平八郎」目次3/ その124/その126

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