Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その14

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (1)
 改 訂 版



其二  

第二は坂部能登守広高に勧めて与力同心に武芸を奨励せしめた といふことで、一体京橋口玉造口両定番配下の与力同心は城付 であるから、主として武芸を練習したものだが、町奉行組の与 力同心中には文学武芸共に余り行れなかつた、然るに平八郎は 佐分利流の槍術を能く遣ひ、玉造口与力柴田勘兵衛から免許を 受けた位故、平八郎が兵庫勤番の節、姫路藩の宝蔵院流槍術指 南番と他流試合をして、師柴田勘兵衛から戒められたことは附 録(二)(三)に見える武芸奨励の献策は事実らしくあるが、能登 守は寛政四年四月に町奉行となり、同七年六月に江戸町奉行に 栄転してゐるから、能登守とあるのは間違だ、

その四  第四は坂部能登守広高に勧めて与力同心に武芸を奨励せしめ たといふことで、一体京橋口玉造口両定番配下の与力同心は城 附であるから、主として武芸を練習したものだが、町奉行組の 与力同心中には文学武芸共に余り行はれなかつた。然るに前記 の如く平八郎は佐分利流の槍術を能く遣ひ、免許を受けた位故、 武芸奨励の献策は事実らしくあるが、能登守は寛政四年四月に 町奉行となり、同七年六月に江戸町奉行に栄転してゐるから、 能登守とあるは間違に相違ない。


「大塩平八郎」目次/ その13/その15

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