Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.4.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その180

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 附録
(一四)大塩平八郎消息
 大阪佐々木計二郎氏蔵
   

  坂本鉉之助様               (貴下カ)             拝答□□        大塩平八郎 貴書拝見仕候、既に向寒弥御健安被成御座奉賀候、扱縷々被仰下、 且御文章被恵投熟閲、何ことも恐入候、御謙譲之御事ニ存侯、已 来御心易御往来可被下候、御文中高諭之通にて成敗に可拘義にハ 無之候、世上之俗輩之是非ハ頓着不仕候、私義も尾陽本家之者、 神君様より拝領之御弓持伝、代々拝見に下り、私義勤中多事故得 参不申、此度退隠隙に相成候付、秋末より参、御方こて瀞倦、当 月二日に帰坂仕候、夫故貴答延引御免可被下候、任仰拙作相認さ し上候間、御 覧可被下候、右ハ此度之新製に御座候、且帰坂後 も俗客之来訪に者殆と困り、一向隠居之風体に無之に付、決然と 存付和州辺之山へ人読書可仕、左候ハゝ、自ら風塵を真に避可申 と存候、則今十六日より出宅、山へ参申侯、最早俗態ハ相厭申候、 御推察可被下候、来陽にても一寸帰坂仕候ハゝ御知らせ可申上候 間、御出被下候ハゝ、講論可仕と相楽申候、逐日寒に趣候間折角 御自愛専一に奉祈候、出立前灯下之操筆乱雑御免可被下候、已上、   十一月十六日

    本消息は天保元年のものなること、文中名古屋の宗家訪問 の記事あるによつて明なり、坂本鉉之助は玉造口与力にし て荻野流の砲術を能くし、挙兵の日大塩隊の鋭鋒を挫きし 人、而して両者平穏無事の日に於て深交ありしこと奇とし ふべし、


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