本文六六頁にセンスマルハライソの意味は不明としておいた、其
キリシタン
後偶然洛水一滴抄といふ本を見たら、切支丹制禁の事を書いた一
節中に、「てうすと申候は本尊の名て、毎々善次丸と称申候」と
あつて、善次丸はセンスマルの宛字であることを知つた、本月京
都へ来て文科大学の新村教授に面会し、此事を話したら、センス
マルは又善主麿とも書く、センスは耶蘇、マルは聖母マリヤ、ハ
ライソは極楽の義にて、聖主聖母を崇信して極楽に至る義ならん
と言はれ、成程と感じた、但し水野軍記及びその門人等は単にセ
ンスマルハライソと唱へる丈を知つて、其意味は知らなかつたで
あらうと考へる。
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