Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.8.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その197

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 余説 (2)


大塩政之丞
の後妻











同人先妻













平八郎敬高
の妻

本文九七頁*1に平八郎の外祖の氏名及祖母の名は不詳と書いてお いたが、打越竹三郎氏の手紙で祖母の墳墓が天満の蓮興寺にある と聞き、早速下阪して一覧した所、正面に寿正院妙誠日耀大姉、 右側に文政十一戌子七月十九日、大塩政之丞継室西田氏清享年六 十四とある五輪塔で、其文字は成正寺にある祖父政之丞成余及平 八郎敬高の墓碣と同じく、平八郎後素の自筆と見える、彼が東組 与力西田青太郎の弟格之助を何様いふ縁故で養子にしたか、今迄 不明であつたが、これから考へると、自分の祖母の生家から養子 をしたのであらう、但し平八郎敬高は寛政十一年三十歳にして歿 すといへば、明和七年の出生で、明和七年は父政之丞十九歳継母 西田氏六歳――両人の歿年と享年とより逆算す――となる勘定故 平八郎敬高は先妻の生む所であつたといへる、この墓の側に同じ 様な五輪塔で稍小いものがある、中央には本種院妙因日量、右に は秀顔童子、左には暁夢嬰孩と題し、台石に西田氏の分と同様大 塩氏とあれど何人か解らぬ、然し法号中妙字日字を用ふる所から 推せば明に婦人で、或は政之丞の先妻かとも思はれるが、之は想 像のみで確証は無い、尚同寺の過去帳九月廿日の所に、清心院妙 義日浄寛政十二申九月廿日、大塩平八郎妻とある、之は平八郎敬 高の妻即ち平八郎後素の生母で、本姓俗名の書いて無いのは如何 にも残念だ、寺僧に依頼して此過去帳の原簿であるべき涅槃簿を も一覧したが、それは却て過去帳から抜書したもので、無下に新 しく、過去帳所載以外には一字の増減も無い、之には少からず失 望した。


『大塩平八郎 』その54


註*1 九七頁は「九八頁」が正しい。


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