Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.8.17

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その199

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 余説 (4)


磯矢頼母 

一体成正寺の墓地には天満与力の墓が多く、大塩一件の関係者で は吉田氏・磯矢氏・河合氏・吉見氏の墳墓がある、一六四頁に磯 矢信字は可行は磯矢頼母同人であらうと推考したが、同人の墓石 の周囲三面に刻んである並河樺翁撰の碑銘により間違なきを知つ た、碑銘によると彼は如流と号し、堺与力辻村氏から出て天満与 力磯矢照信に養はれ、天保九年十月に一戸を立て、安政四年四月 五日享年五十二を以て歿した、学は王守仁を崇び、書は米を慕 ひ、闇槍剣拳に通じ、善く和漢古今の書画を講じ、旁ら茶技を善 くしたとある、平八郎召捕の相談に与つた吉田勝右衛門は名を定 省といひ、天保十五年辰九月廿三日に死んで居ることや、吉見九 郎右衛門が名を惟仁といふことも、それ\/墓石によつて解つた、 反忠によつて名高い九郎右衛門が建てた吉見氏累世之墓と、縦令 遺髪死灰を埋めざるも、中斎の墓として建てたものと、同一寺内 にあるのは面白い対照だ。


「大塩平八郎」目次5/ その198/その200

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