平八郎の肖像は得やうとて大分苦心したが、正確疑なきものは未
だ之を発見し得ぬ、恐くは無いのであらう、塩逆述巻五にある肖
像は塩賊騒乱記巻二にあるものと同一で、平服の儘の姿の上半身
を写してある、図の上部に「秋田清次曰、此図頗失其真」とあつ
て、朱書に清次は「平八郎門弟ニテ只今家君何人か未詳門下ニ相
成リ書生寮ニ罷在候」とあるから、何分にも之は信用し難い、椎
の実筆巻廿三にある肖像は麻上下の半身像で、五三桐の紋を付け
て居る、大塩家の定紋が丸に揚羽蝶であることは武鑑によつて明
白だ、尤も乱暴の際にしようした旗には五七の桐の紋をつけたが
之は乱暴の際だけ用ゐたか、縦令左様でなくとも替紋であつて、
麻上下に付けるは不当と思はれる、従つて此肖像も信じ難い、又
富岡鉄斎翁の手許に菊地容斎の書いた平八郎の肖像といふものが
ある、併し之とてもその伝来は一切不明といへば容易に信じ難い。
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