Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その20

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (9)
 改 訂 版

其八

第八は或医者が町奉行所の役人を困らす積で、漢文で認めた願 書を差出した時、願意の可否によらず、其儘に却下しては番所 に読む者が無いやうである、願意の聞届けざる理由を漢文で書 かうと、山城守の許可を得て其通り取計つたといふことで、要 するに是等は皆逸話伝説に過ぎない、大岡越前守忠相が名奉行 であつたとすると、従来幾多の奉行が下した面白き判決を皆忠 相のものと言触らし書流すやうな類で、前記の数條の話は勿論 虚説とは言明し難いが、また悉く実説とも名言し得ない、併し 我等は之によつて平八郎が清廉の人、更に一歩を進めて言へば 峻烈の人で、また事務に黽勉な人であつたことを知る、此点だ けは総ての逸話を通じて見えて居る、而して次の一節は玉造口 与力坂本鉉之助が同僚柴田勘兵衛即ち平八郎の槍術の師と共に、 平八郎の口から聞いた話で、大に参考に資すべきものと考へる。

その十  第十は或医者が町奉行所の役人を困らす積で、漢文で認めた 願書を差出した所、願意は聞届難きに決したが、この儘却下し ては番所に読む者が無いやうである、願意の聞届け難い理由を 漢文で書かうと、山城守の許可を得てその通り取計つたといふ。  要するに以上は皆逸話伝説に過ぎない。大岡越前守忠相が名 奉行であつたとすると、従来幾多の奉行が下した面白い判決を 皆忠相のものと言触らし書流すやうな類で、前記数條の話を一 概に虚説として否定し難いが、また悉く実説とも断言し得ない。 併し我等は之によつて平八郎が清廉の人、更に一歩を進めて言 へば峻烈の人であり、また事務に黽勉な人であつたことを知る。 この点だけは総ての逸話を通して見えて居る。さうして次の一 節は玉造口与力坂本鉉之助が同僚柴田勘兵衛即ち平八郎の槍術 の師と共に、平八郎の口から聞いた話で、大いに参考に資すべ きものと考へる。


「大塩平八郎」目次/ その19/その21

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