Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その21

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (10)
 改 訂 版


其九

文政四年四月頃鉉之助勘兵衛同道にて平八郎を尋ねた、鉉之助 は勘兵衛の宅で平八郎に面会したことはあるが、彼を訪うたの は之が初回である。然るに座に就いてまだ時候の挨拶も済まぬ 内に、能く御出で下された、殊によると拙者も切腹をして御目 にかゝれなんだかも知れぬのに、先づ\/切腹にも及ばず、御 目にかかり重畳であるとの主人の言葉、両名少からず驚いて様 子を尋ねると、されば此に一條の物語が御座る、天満の町人何 某といふ者、貸金出入にて訴へられ、定法の通り日限を定めて 返済を命ぜられた所、彼者の申状には、近年の不仕合にて借財 段々に嵩み、今度切金を命ぜられても、一口済めばまた一口と いふ風に上の御手数をかけ、所詮全額を償却すること覚束なく、 何卒身代限を仰付けられたしとの願、而し此者先代は御用金を 差出したる廉あるれば、一応江戸表へ伺となつたるに、水野出 羽守殿の御差図に、事情如何にも不便なれば先代の納めた御用 金を下戻しやり度は思へど、其者一人に止らず、追々右様の者 出でては、下金の都合もあり、不便ながら身代限を申渡せとの 御下知であつた、夫を承ると拙者は直に西奉行内藤隼人正殿へ 参り、組違にて御面会なきを強ひて御目にかゝり、私頭高井山 城守殿は近頃御赴任故、未だ御気質も承知仕らず、御前は前年 当地御目付を勤められ、且つは御継母に御孝心の由兼て承り、 御為筋と存じて推して参上仕りました、今度の切金一條、江戸 表の御下知を背くは不敬とは申せ、彼者先代公儀へ御用金を差 出したるは、家の為又子孫の為にもなるべしと存じ、大切の金 銀を御用立致したる次第、いかに当人の願とはいヘ、身代限を 申渡し、家名断絶とあらば、今後当地へ御用金を仰付けらるゝ とも、豪商共難渋を申立て蜂を払うやうに嫌ひ申すべし、浪華 は公辺の御金箱なり、御前御在勤中もし御用金の御沙汰もあら ば、いかに市民を御諭しあるべきか、此度の御下知は御為には 甚だ宜しからず、私儀は与力の身分、上の御容貌を拝し得ぬ下 賎の者ながら、御為筋には一命を抛つ覚悟、御前は数年上の御 側に在らせられしことならば、一入公儀御為を御大切に思召さ るべく、何卒篤と御勘弁ありたし、万一御裁許を背きしことの 御咎参らば、拙者一人科を請けて即座に切腹いたし、外様へは 御迷惑相掛けずと申したるに、隼人正殿はら\/と落涙にて、 其方山城守を差措いて、当方へ参りたることは、先づ内聞に致 し、其方より山城守殿へ申聞け、山城守殿より当方に相談あら ば、其節宜しきやう取計らうであらう、先づ今日は身代限申渡 の儀を延引せよとの御言葉にて、再応江戸伺の事に決し、老輩 両三人にて昨今必至取調中で御座ると語り畢つたと、咬菜秘記 に出て居る、来客があつて未だ寒暖の挨拶も済まぬ中に斯様な 話を為たのは聊か異様であるが、平八郎が内藤隼人正殿に面謁 進言した一條、能く彼がは敢為邁往の気性を表して居ると思ふ、 之が平八郎の長所であると同時にまた短所であつて、後年挙兵 の暴に及んだのは、餓途に横はるも、為政者之が救済の手段 を講ぜざるに奮激した結果と言ふべきであらう。

その十一  文政四年四月頃鉉之助勘兵衛同道にて平八郎を尋ねた。鉉之 助は勘兵衛の宅で平八郎に面会したことはあるが、彼を訪うた のは之が初めてである。然るに座に就いてまだ時候の挨拶も済 まぬ内に、能く御出で下された。殊によると拙者も切腹をして 御目にかゝれなんだかも知れぬのに、先づ\/切腹にも及ばず、 御目にかかり重畳であるとの主人の言葉。両名少からず驚いて 様子を尋ねると、されば此に一條の物語が御座る。天満の町人 何某といふ者、貸金出入にて訴へられ、定法の通り日限を定め て返済を命ぜられた所、彼者の申状には、近年の不仕合にて借 財段々に嵩み、今度切金を命ぜられても、一口済めばまた一口 といふ風に上の御手数をかけ、所詮全額を償却すること覚束な く、何卒身代限を仰付けられたしとある。併し当人の先代御用 金を差出した廉あるにより、一応江戸表へ伺となつたるに、水 野出羽守殿の御差図として、事情如何にも不便なれば、先代の 納めた御用金を下戻しやり度は思へど、その者一人に止まらず、 他にも追々右様の者出現しては、下金の都合もあり、不便なが ら身代限を申渡せとの御下知であつた。夫を承ると拙者は直に 西奉行内藤隼人正殿へ参り、組違にて御面会なきを強ひて御目 にかゝり、私頭高井山城守殿は近頃御赴任故、未だ御気質も承 知仕らず、御前は前年当地御目付を勤められ、且つは御継母に 御孝心の由予て承り、御為筋と存じて推して参上仕りました。 今度の切金一條、江戸表の御下知を背くは不敬とは申せ、彼者 先代公儀へ御用金を差出したるは、家の為また子孫の為にもな るべしと存じ、大切の金銀を御用立致したる次第、いかに当人 の願とはいヘ、身代限を申渡し、家名断絶とあらば、今後当地 へ御用金を仰付けらるるとも、豪商共難渋を申立て、蜂を払う やうに嫌ひ申すべし。浪華は公辺の御金箱なり。御前御在勤中 もし御用金の御沙汰もあらば、いかに市民を御諭しあるべきか。 此度の御下知は御為には甚だ宜しからず。私儀は与力の身分、 上の御容貌を拝し得ぬ下賎の者ながら、御為筋には一命を抛つ 覚悟、御前は数年上の御側に在らせられしことならば、一入公 儀御為を御大切に思召さるべく、何卒篤と御勘弁ありたし。万 一御裁許を背きしことの御咎参らば、拙者一人科を請けて即座 に切腹いたし、外様へは御迷惑相掛けずと申したるに、隼人正 殿はら\/と落涙にて、其方山城守を差措いて、当方へ参りた ることは、先づ内聞に致し、其方より山城守殿へ申立て、山城 守殿より当方に相談あらば、その節宜しきやう取計らうであら う。先づ今日は身代限申渡の儀を延引せよとの御言葉にて、再 応江戸伺の事に決し、老輩両三人にて昨今必至取調中で御座る と語り畢つたと、咬菜秘記に出て居る。来客があつて未だ寒暖 の挨拶も済まぬ中に、斯様な話を為たのは聊か異様である。平 八郎は東組の与力だから、意見があらば東町奉行に申立つべき である。自分の支配頭でない西町奉行に強ひて面会を求め、意 見を申立てるのは常軌を外れてゐる。けれども平八郎は自分が 固く公儀の御為と信じた所を行ふに当つては、敢為邁往、区々 たる常軌を顧る暇が無かつたのであらう。之が平八郎の長所で あると同時にまた短所であつて、後年挙兵に及んだのは、餓 途に横はるも、為政者之が救済の手段を講ぜざるに奮激した結 果と言ふべきであらう。


「咬菜秘記」その2


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