彼の筆蹟として多く目に触れるは、巻頭にある関根氏所蔵の消息
の如く勁く鋭きもののみで、亀岡氏所蔵の消息の如く温潤なるも
のは、或は自筆にあらざるべしとの疑も起る、然し柴田氏所蔵の
消息附録(二)(三)(一一)(一二)(一三)は平八郎より其師たる柴田
勘兵衛に差出したもの故、他筆の疑は更に無い、それを見ると彼
が若年の筆蹟は純乎たる御家流であつたのである、文字の論は差
措き、平八郎関係の手紙類を御所持の方あらば是非借用を願ひた
い、天保八年三月二日猪飼敬所に宛てた手紙中、「先便京に執ら
れ候四十歳の女は大塩平八の妾にて、十八歳は格之助之妾にて乳
のみ子を抱候よし」とあるが、平八郎と絶交をした敬所がかく言
ふ位であるから、此一書は橋本忠兵衛の女みねと平八郎とし間に
不倫の事実のむかつた一証になると思ふ、僅に一通の消息と雖も
史料として大なる価値を有することがある、平八郎に関する新事
実の発見は向後悉くは此方面にあらうと考へる。
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