Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その23

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (12)
 改 訂 版

与力同心の収入






















与力の権威

元来町奉行付の与力は高二百石即ち八十石の実収で、同心は僅 に十石三人扶待である、役付によつては別に手当もあるが、そ れとても軽少なものであるのに、中々立派な生活をしてゐる、 関根一郷氏の談話によると、与力中の幅利は二千石位の生活を したといふ、如何して其様な収入があるかといふと、年頭八朔 には三郷町々又は諸株諸仲間から附届がある、地方役にでもな ると之が大分の額に上る、商業上の訴訟の如きは和解願下とな ると、屹度原被両方から掛与力同心へ礼銀を持つて来る、御用 金が済んだと云ては掛与力同心へ礼銀を持参する、其他火事に せよ、変死人にせよ、総て臨時の事件があれば大抵皆掛与力及 同心へ例銀を出す風で、年八二回に貰ふ当式の附届の外、臨時 の取入も夥しい、勿論役付によつて収入額に異同はあるが、併 し是等は先づ正式の収入といふべきである、若し彼等が権威を 恃んで私曲を弄さうとすれば幾許でも出来る、東西の町奉行は 交替するが彼等は居附である、新任の町奉行は余程の英才にあ らざる限り、故参の与力が右といへば右、左といへば左を向か ねばならず、町奉行の公用人の如きは町奉行一己の家人で、主 人と進退を共にすべき筈であるが、甲奉行転任の後は新に赴任 して来た乙奉行に仕ヘ、乙奉行転任の後は更に新に来た丙奉行 に仕へるといふ風で、実際またさういふ公用人が無ければ公務 を勤め兼ねたといふ、町奉行一己の家臣なる公用人すら右の加 き有様故、配下とはいへ地付の与力の権威は大したものである、 況んや天満組六十騎の与力百人の同心は、大阪唯一の武士階級 として市民の眼に映ずる一団である故、市民は御無埋御尤とし て其意を迎へるに汲々たるものがあつた、

 元来町奉行組の与力は高二百石即ち八十石の実収で、同心は 僅に十石三人扶待である。役付によつて別に手当もあるが、そ れとても軽少なものであるのに、中々立派な生活をしてゐる。 旧東組与力関根一郷氏の談話によると、与力中の幅利は二千石 位の生活をしたといふ。如何して其様な収入があるかといふと、 年頭八朔には三郷町々又は諸株諸仲間から附届がある、地方役 にでもなると之が大分の額に上る。商業上の訴訟の如きは和解 願下となると、屹度原被両方から掛与力同心へ礼銀を持つて来 る、御用金が済んだといつては掛与力同心へ礼銀を持参する、 その他火事にせよ、変死人にせよ、総て臨時の事件があれば大 抵皆掛与力及び同心へ例銀を出す風で、年八二回に貰ふ当式の 附届の外、臨時の収入も夥しい。勿論役附によつて収入額に異 同はあるが、併し是等は先づ正式の収入といふべきである。若 し彼等が権威を恃んで私曲を弄さうとすれば幾許でも出来る。 東西の町奉行は交替するが彼等は居着である、新任の町奉行は 余程の英才にあらざる限り、故参の与力が右といへば右、左と いへば左を向かねばならず、町奉行の公用人の如きは町奉行一 己の家人で、主人と進退を共にすべき筈であるが、甲奉行転任 の後は新に赴任して来た乙奉行に仕ヘ、乙奉行転任の後は更に 新に来た丙奉行に仕へるといふ風で、実際またさういふ公用人 が無ければ公務を勤め兼ねたといふ。町奉行一己の家臣なる公 用人すら右の加き有様故、配下とはいへ地着の与力の権威は大 したものである。況んや天満組六十騎の与力百人の同心は、大 阪唯一の武士階級として市民の眼に映ずる一団である故、市民 は御無埋御尤としてその意を迎へるに汲々たるものがあつた。


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