与力同心の収入
与力の権威
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元来町奉行付の与力は高二百石即ち八十石の実収で、同心は僅
に十石三人扶待である、役付によつては別に手当もあるが、そ
れとても軽少なものであるのに、中々立派な生活をしてゐる、
関根一郷氏の談話によると、与力中の幅利は二千石位の生活を
したといふ、如何して其様な収入があるかといふと、年頭八朔
には三郷町々又は諸株諸仲間から附届がある、地方役にでもな
ると之が大分の額に上る、商業上の訴訟の如きは和解願下とな
ると、屹度原被両方から掛与力同心へ礼銀を持つて来る、御用
金が済んだと云ては掛与力同心へ礼銀を持参する、其他火事に
せよ、変死人にせよ、総て臨時の事件があれば大抵皆掛与力及
同心へ例銀を出す風で、年八二回に貰ふ当式の附届の外、臨時
の取入も夥しい、勿論役付によつて収入額に異同はあるが、併
し是等は先づ正式の収入といふべきである、若し彼等が権威を
恃んで私曲を弄さうとすれば幾許でも出来る、東西の町奉行は
交替するが彼等は居附である、新任の町奉行は余程の英才にあ
らざる限り、故参の与力が右といへば右、左といへば左を向か
ねばならず、町奉行の公用人の如きは町奉行一己の家人で、主
人と進退を共にすべき筈であるが、甲奉行転任の後は新に赴任
して来た乙奉行に仕ヘ、乙奉行転任の後は更に新に来た丙奉行
に仕へるといふ風で、実際またさういふ公用人が無ければ公務
を勤め兼ねたといふ、町奉行一己の家臣なる公用人すら右の加
き有様故、配下とはいへ地付の与力の権威は大したものである、
況んや天満組六十騎の与力百人の同心は、大阪唯一の武士階級
として市民の眼に映ずる一団である故、市民は御無埋御尤とし
て其意を迎へるに汲々たるものがあつた、
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元来町奉行組の与力は高二百石即ち八十石の実収で、同心は
僅に十石三人扶待である。役付によつて別に手当もあるが、そ
れとても軽少なものであるのに、中々立派な生活をしてゐる。
旧東組与力関根一郷氏の談話によると、与力中の幅利は二千石
位の生活をしたといふ。如何して其様な収入があるかといふと、
年頭八朔には三郷町々又は諸株諸仲間から附届がある、地方役
にでもなると之が大分の額に上る。商業上の訴訟の如きは和解
願下となると、屹度原被両方から掛与力同心へ礼銀を持つて来
る、御用金が済んだといつては掛与力同心へ礼銀を持参する、
その他火事にせよ、変死人にせよ、総て臨時の事件があれば大
抵皆掛与力及び同心へ例銀を出す風で、年八二回に貰ふ当式の
附届の外、臨時の収入も夥しい。勿論役附によつて収入額に異
同はあるが、併し是等は先づ正式の収入といふべきである。若
し彼等が権威を恃んで私曲を弄さうとすれば幾許でも出来る。
東西の町奉行は交替するが彼等は居着である、新任の町奉行は
余程の英才にあらざる限り、故参の与力が右といへば右、左と
いへば左を向かねばならず、町奉行の公用人の如きは町奉行一
己の家人で、主人と進退を共にすべき筈であるが、甲奉行転任
の後は新に赴任して来た乙奉行に仕ヘ、乙奉行転任の後は更に
新に来た丙奉行に仕へるといふ風で、実際またさういふ公用人
が無ければ公務を勤め兼ねたといふ。町奉行一己の家臣なる公
用人すら右の加き有様故、配下とはいへ地着の与力の権威は大
したものである。況んや天満組六十騎の与力百人の同心は、大
阪唯一の武士階級として市民の眼に映ずる一団である故、市民
は御無埋御尤としてその意を迎へるに汲々たるものがあつた。
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