Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その4

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 緒 論(1) 改 訂 版

大阪は天下
の台所

大阪は天下の台所である、然り台所であつて書院又は広間では 無いが、台所の一小事は一家の煩となり、大阪に生じた異変は 海内に波動する、天保八年二月の騒乱により、市民は元和落城 後二百余年にして始めて剣戟の旭日に閃き、吶喊の天に響くを 見聞したのであるから、周章狼狽固より恕すべきであるが、周 章狼狽は独り町人のみでない、全市の安寧を掌れる東西両町奉 行及配下の与力同心等は逡巡して進まず、徒に他の援助を待ち、 而も砲声と共に主将たるべき両町奉行は意久地なくも落馬し、 城中にては騒乱の大小をも見極めず、城代・定番・加番・大番 組頭等相集りて仰々しき警備を為し、尼ケ崎・姫路・篠山・高 槻・淀・郡山・岸和田等近畿の諸侯は、或は自ら兵を進め、或 は城代の督促に応じて出兵し、又京都所司代は飛報を得て禁裏 向の守護を厳重にした位であつた、此の如き大動揺を波及した 変乱の巨魁は、東町奉行組与力の隠居、陽明学者として有名な る大塩平八郎其人である、騒乱そのものより見れば、少数の同 志を誘ひ、銃を発し、火を放つて、天満北船場を横行したに過 ぎない、騒乱は淡路町の小衝突にて終り、二、三の死者を残し て一党悉く離散し、再挙の計画すら無かつたものであつた。

 大阪は天下の台所である。然り台所であつて書院又は広間では 無いが、台所の一小事は一家の煩となり、大阪に生じた異変は海 内に波動する。天保八年二月の騒乱により、市民は元和落城後二 百余年にして始めて剣戟の旭日に閃き、吶喊の天に響くを見聞し たのであるから、周章狼狽固より恕すべきであるが、周章狼狽は 独り町人のみでない。全市の安寧を掌れる東西両町奉行及び配下 の与力同心等は逡巡して敢へて進まず、而も主将たる両町 奉行は砲声と共に意久地なくも落馬し、城中にては城代・定番・ 加番・大番組頭等相集つて仰々しき警備を為し、尼ケ崎・姫路・ 篠山・高槻・淀・郡山・岸和田等近畿の諸侯は、或は自ら兵を進 め、或は城代の督促に応じて出兵し、又京都所司代は飛報を得て 禁裏向の守護を厳重にした位であつた。此の如き大動揺を波及し た騒乱の巨魁は、東町奉行組与力の隠居、陽明学者として有名な 大塩平八郎で、騒乱そのものより見れば、少数の同志を誘ひ、銃 を発し、火を放つて、天満北船場を横行したに過ぎない。騒乱は 淡路町の小衝突で終はり、二三の死者を残して一党悉く離散し、 再挙の計画すら無かつたものであつた。

  


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