大阪は天下
の台所
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大阪は天下の台所である、然り台所であつて書院又は広間では
無いが、台所の一小事は一家の煩となり、大阪に生じた異変は
海内に波動する、天保八年二月の騒乱により、市民は元和落城
後二百余年にして始めて剣戟の旭日に閃き、吶喊の天に響くを
見聞したのであるから、周章狼狽固より恕すべきであるが、周
章狼狽は独り町人のみでない、全市の安寧を掌れる東西両町奉
行及配下の与力同心等は逡巡して進まず、徒に他の援助を待ち、
而も砲声と共に主将たるべき両町奉行は意久地なくも落馬し、
城中にては騒乱の大小をも見極めず、城代・定番・加番・大番
組頭等相集りて仰々しき警備を為し、尼ケ崎・姫路・篠山・高
槻・淀・郡山・岸和田等近畿の諸侯は、或は自ら兵を進め、或
は城代の督促に応じて出兵し、又京都所司代は飛報を得て禁裏
向の守護を厳重にした位であつた、此の如き大動揺を波及した
変乱の巨魁は、東町奉行組与力の隠居、陽明学者として有名な
る大塩平八郎其人である、騒乱そのものより見れば、少数の同
志を誘ひ、銃を発し、火を放つて、天満北船場を横行したに過
ぎない、騒乱は淡路町の小衝突にて終り、二、三の死者を残し
て一党悉く離散し、再挙の計画すら無かつたものであつた。
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大阪は天下の台所である。然り台所であつて書院又は広間では
無いが、台所の一小事は一家の煩となり、大阪に生じた異変は海
内に波動する。天保八年二月の騒乱により、市民は元和落城後二
百余年にして始めて剣戟の旭日に閃き、吶喊の天に響くを見聞し
たのであるから、周章狼狽固より恕すべきであるが、周章狼狽は
独り町人のみでない。全市の安寧を掌れる東西両町奉行及び配下
の与力同心等は逡巡して敢へて進まず、而も主将たる両町
奉行は砲声と共に意久地なくも落馬し、城中にては城代・定番・
加番・大番組頭等相集つて仰々しき警備を為し、尼ケ崎・姫路・
篠山・高槻・淀・郡山・岸和田等近畿の諸侯は、或は自ら兵を進
め、或は城代の督促に応じて出兵し、又京都所司代は飛報を得て
禁裏向の守護を厳重にした位であつた。此の如き大動揺を波及し
た騒乱の巨魁は、東町奉行組与力の隠居、陽明学者として有名な
大塩平八郎で、騒乱そのものより見れば、少数の同志を誘ひ、銃
を発し、火を放つて、天満北船場を横行したに過ぎない。騒乱は
淡路町の小衝突で終はり、二三の死者を残して一党悉く離散し、
再挙の計画すら無かつたものであつた。
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