大塩乱に関
する史料
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大塩乱は些細のものであつたが、之を惹起さしめた動機と其影
響とは大にして且つ広く、騒乱に関する沙汰書・触書・届書・
吟味書・乃至裁許状等公文書に属する史料は言ふに及ばず、在
大阪公私の人々より私信として夫々ヘ発送したる見聞書風説書
の類は頗る多く伝つて居る、塩逆述十二巻附録二巻は公私の文
書を蒐集大成した物で、塩賊騒乱記五冊之に次ぎ、其他何とい
ひ、角といひ、書名は種々あるが、仔細に本文を点検すると、
彼此同一の史料を載せて居る、又編纂物には浪花筆記一名天満
水滸伝十二巻伝写弘布すれども、単に騒乱そのものを記すに過
ぎない、評定所一座の大坂市中放火及乱妨候一件吟味伺書・異
変之砌玉造組与力同心働前御吟味に付明細書取・坂本鉉之助の
咬菜秘記等有力なる史料が、従来の大塩平八郎伝に引用されて
居らぬは遺憾至極である、杏寧ろ不思議千万と言はねばならぬ、
評定所吟味伺書は与党生存者中主なる者を江戸評定所に喚下し、
此処にて委細の吟味を遂げ、罪按を作つて幕府に差出した一件
記録である、玉造組与力同心働前明細書は淡路町の小衝突に大
塩党を潰乱せしめたる該組与力同心が、定番の命に応じ、有体
の儘書出したる百三十通の書付を以て綴成したる一冊にて、件
信友の集めた浪華緑林中にある、之には同年三月十八日付坂本
鉉之助の手紙が添うてゐる、鉉之助は玉造口与力で平八郎と文
墨の交あり、然も淡路町の一戦には大塩党の浪士を銃殺したる
一勇士で、それの著になる咬菜秘記は固より他人に示すべき積
でなき故、表裏明暗遠慮会釈なく書いてある、咬菜軒とは鉉之
助の号だ、本書は近年雑誌旧幕府の第二巻第三巻に連載せられ、
又写本としては帝国図書館に一本を蔵して居るが、共に誤脱あ
りて完本とはいへぬ、以上三部が大塩乱の研究に屈強な材料で
あることは、其書の成立より推して分明で、敢て多言を要せぬ
と思ふ。
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大塩乱は些細のものであつたが、その影響が重大であつたた
め、騒乱に開する沙汰書・触書・届書・吟味書・裁許状等、公
文書に属する史料は言ふに及ばず、在大阪公私の人々より私信
として夫々ヘ発送した見聞書風説書の類は頗る多く伝はつてゐ
る。さうして夫等の史料の若干を蒐集したもの、或は夫等の史
料の若干によつて大塩乱の顛末を書いたものが、種々の書名で
現存してゐるが、前者は仔細に内容を点検すると彼此同一の史
料を載せ、また後者に(一)評定所一座大坂市中放火及乱妨候一
件吟味書、(二)異変之砌玉造組与力同心働前御吟味に付明細書
取、(三)坂本鉉之助著咬菜秘記等、極めて有力な史料と認め
られるものが引用されて居らぬは遺憾至極である、杏寧ろ不思
議千万と言はねばならぬ。評定所吟味伺書は与党生存者中主な
る者を江戸評定所に喚下し、同所で委細の吟味を遂げ、罪按を
作つて幕府に差出した一件記録である。玉造組与力同心働前明
細書は淡路町の小衝突に大塩党を潰乱せしめた該組与力同心が、
定番の命に応じ、有体の儘書出した百三十通の書付を編輯した
もので、件信友の集めた浪華緑林といふ写本の中にあり、それ
には同年三月十八日付坂本鉉之助の手紙が附いてゐる。鉉之助
は玉造口与力でかねて平八郎と文墨の交があり、然も淡路町の
一戦では大塩党の浪士を銃殺した一勇士で、同人の著になる咬
菜秘記は固より他人に示すべき積でないから、大塩一件に関し、
表裏明暗遠慮会釈なく書いてある。咬菜軒とは鉉之助の号だ。
本書は帝国図書館に写本一部を蔵し、また別の写本から雑誌旧
幕府の第二巻第三巻に連載せられて居るが、共に誤脱があつて
完本とはいへぬ。以上三部が大塩乱の研究に屈強な材料である
ことは、その書の成立から推して分明で、別段多言を要せぬと
思ふ。
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