Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.1.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その5

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 緒論(2) 改訂版

大塩乱に関
する史料

大塩乱は些細のものであつたが、之を惹起さしめた動機と其影 響とは大にして且つ広く、騒乱に関する沙汰書・触書・届書・ 吟味書・乃至裁許状等公文書に属する史料は言ふに及ばず、在 大阪公私の人々より私信として夫々ヘ発送したる見聞書風説書 の類は頗る多く伝つて居る、塩逆述十二巻附録二巻は公私の文 書を蒐集大成した物で、塩賊騒乱記五冊之に次ぎ、其他何とい ひ、角といひ、書名は種々あるが、仔細に本文を点検すると、 彼此同一の史料を載せて居る、又編纂物には浪花筆記一名天満 水滸伝十二巻伝写弘布すれども、単に騒乱そのものを記すに過 ぎない、評定所一座の大坂市中放火及乱妨候一件吟味伺書・異 変之砌玉造組与力同心働前御吟味に付明細書取・坂本鉉之助の 咬菜秘記等有力なる史料が、従来の大塩平八郎伝に引用されて 居らぬは遺憾至極である、杏寧ろ不思議千万と言はねばならぬ、 評定所吟味伺書は与党生存者中主なる者を江戸評定所に喚下し、 此処にて委細の吟味を遂げ、罪按を作つて幕府に差出した一件 記録である、玉造組与力同心働前明細書は淡路町の小衝突に大 塩党を潰乱せしめたる該組与力同心が、定番の命に応じ、有体 の儘書出したる百三十通の書付を以て綴成したる一冊にて、件 信友の集めた浪華緑林中にある、之には同年三月十八日付坂本 鉉之助の手紙が添うてゐる、鉉之助は玉造口与力で平八郎と文 墨の交あり、然も淡路町の一戦には大塩党の浪士を銃殺したる 一勇士で、それの著になる咬菜秘記は固より他人に示すべき積 でなき故、表裏明暗遠慮会釈なく書いてある、咬菜軒とは鉉之 助の号だ、本書は近年雑誌旧幕府の第二巻第三巻に連載せられ、 又写本としては帝国図書館に一本を蔵して居るが、共に誤脱あ りて完本とはいへぬ、以上三部が大塩乱の研究に屈強な材料で あることは、其書の成立より推して分明で、敢て多言を要せぬ と思ふ。

 大塩乱は些細のものであつたが、その影響が重大であつたた め、騒乱に開する沙汰書・触書・届書・吟味書・裁許状等、公 文書に属する史料は言ふに及ばず、在大阪公私の人々より私信 として夫々ヘ発送した見聞書風説書の類は頗る多く伝はつてゐ る。さうして夫等の史料の若干を蒐集したもの、或は夫等の史 料の若干によつて大塩乱の顛末を書いたものが、種々の書名で 現存してゐるが、前者は仔細に内容を点検すると彼此同一の史 料を載せ、また後者に(一)評定所一座大坂市中放火及乱妨候一 件吟味書、(二)異変之砌玉造組与力同心働前御吟味に付明細書 取、(三)坂本鉉之助著咬菜秘記等、極めて有力な史料と認め られるものが引用されて居らぬは遺憾至極である、杏寧ろ不思 議千万と言はねばならぬ。評定所吟味伺書は与党生存者中主な る者を江戸評定所に喚下し、同所で委細の吟味を遂げ、罪按を 作つて幕府に差出した一件記録である。玉造組与力同心働前明 細書は淡路町の小衝突に大塩党を潰乱せしめた該組与力同心が、 定番の命に応じ、有体の儘書出した百三十通の書付を編輯した もので、件信友の集めた浪華緑林といふ写本の中にあり、それ には同年三月十八日付坂本鉉之助の手紙が附いてゐる。鉉之助 は玉造口与力でかねて平八郎と文墨の交があり、然も淡路町の 一戦では大塩党の浪士を銃殺した一勇士で、同人の著になる咬 菜秘記は固より他人に示すべき積でないから、大塩一件に関し、 表裏明暗遠慮会釈なく書いてある。咬菜軒とは鉉之助の号だ。 本書は帝国図書館に写本一部を蔵し、また別の写本から雑誌旧 幕府の第二巻第三巻に連載せられて居るが、共に誤脱があつて 完本とはいへぬ。以上三部が大塩乱の研究に屈強な材料である ことは、その書の成立から推して分明で、別段多言を要せぬと 思ふ。


「大塩平八郎伝」目次/ その4/その6

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