洗心洞箚記
附録抄
洗心洞箚記
附録
洗心洞学名
学則並答人
論学書略
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洗心洞箚記附録抄一冊は主として箚記及附録の贈呈に対し、諸家
贈る所の詩文を収め、之に山陽の文一篇詩六首を加へたもので、
後者の小序に天保五年八月とあれば、是歳是月か、或は之を距る
遠からざる時の出版で、翌六年夏箚記本文と共に版木は書林の手
に引渡された、本書は平八郎の交友を知るに便宜なる史料である
から、更に後文に於て再び紹介を試みやう、本書にある杉本祐憲
川北重熹等の尺牘を読むと、箚記本文二冊の外に箚記附録と題す
る一冊物があつて、中斎が一斎に与へた尺牘附録(八)を載せてあ
ることが解るが、頗る希本と見え、近頃伊勢の神宮文庫に於て漸
く其一本を蔵することを承知した、今日の附録抄には中斎の尺牘
はない、それから本書と反対に、平八郎が友人門弟に答へた尺牘
を集めたのが洗心洞学名学則並答人論学書略一冊で、学名学則は
本文僅かに一丁半で、附載の方が却て本書の大部分を為して居る、
之には序跋もなく、出版年月を推知するに由無いが、附録中答人
読陋撰箚記詰難の一篇がある所から推して、箚記刊行以後のもの
たる丈は明である。
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洗心洞箚記附録抄一冊は箚記及び附録の贈呈に対し、諸家贈る
所の詩文中主なるものを収め、之に山陽の文一篇詩六首を加へた
ものである。後者の小序に天保五年八月とあれば、早ければ同年
同月、さうで無いとしても之を距る遠からざる時の出版で、翌六
年夏箚記本文と共に版木は書林の手に引渡された。本文中文字を
彫刻せず、或は黒字或は白字を充てた箇処の多いのは編者の遠慮
によるものである。本書は中斎の交友を知るに便宜な史料である
から、後文において再び紹介を試みよう。本書にある杉本祐憲川
北重熹等の尺牘を読むと、箚記本文二冊の外に箚記附録と題する
一冊物があつて、中斎が一斎に与へた尺牘を載せてあることは解
るが、頗る希本と見え、神宮文庫の蔵本以外にはまだ目に触れぬ。
よつて之を附録(三)に収めた。それから附録抄と反対に、友人門
弟に答へた尺牘を集めたのが洗心洞学名学則並答人論学書略一冊
で、学名学則は本文僅かに一丁半、附載の方が却つて本書の大部
分を為して居る。之には序跋もなく、出版年月を推知するに由無
いが、附録中答人読陋撰箚記詰難の一篇がある所から推して、箚
記刊行以後のものたるは明白である。
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