洗心洞詩文
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以上が中斎の著述書目の略解である、近年鉄華書院から出版した
古本大学旁註には中斎の書入があるが、此の如き書入本は大阪府
立図書館にある伝習録の外にも、まだ色々あるだらうし、著述の
中に数へるは如何と省いて置く、たゞ看過すべからざるは中尾水
哉編纂明治十二年刊行の洗心洞詩文二冊で、其原稿は中斎の門人
伊丹の稲川氏の手から出て、上巻は詩、下巻には文を載せ、巻首
には漢文にて認めた平八郎の略伝がある、之を洗心洞詩文の全集
とは言ひ難いが、さりとて本書より多く彼の詩文を集めたものは
刊本写本を問はず未だ偶目せぬ、詩文は決して巧妙では無い、彼
は近世の作文家を難じ、先づ胸中に利害の念を横ふるを以て、其
言朦朧として趨避する所あり、文章は須く明白磊落事情に指切な
るを要す、然れども予の文は拙にして法無し、只辞達するを願ふ
のみと、言つて居る位だ、併し本書下巻の入学盟誓・学堂西掲・
同東掲・同掲示・児童日課大略・学名学則並読書書目等は洗心洞
の学風を知るに絶好の史料である。
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以上が中斎の著述書目の略解である。彼の詩文集としては、自
分は明治十二年に水哉中尾捨吉氏が編輯刊行した洗心洞詩文半紙
本二冊を知つてゐるのみだ。同書は中尾氏が中斎の門人稲川氏所
蔵の写本中から撮録したもので、上巻に詩、下巻に文を載せてあ
る。之を洗心洞詩文の全集とは言ひ難いが、さりとて本書よりよ
り多く彼の詩文を集めたものはあるまいと思ふ。中斎は詩人でも
無ければ文人でもない。彼は近世の作文家を難じ、まず胸中に利
害の念を横ふるを以て、その言朦朧として趨避する所あり、文章
は須く明白磊落事情に指切なるを要す、然れども予の文は拙にし
て法無し、只辞達するを願ふのみと言つて居る位だ。併し本書下
巻の入学盟誓・学堂西掲・同東掲・同掲示・児童日課大略・学名
学則並読書書目等は洗心洞の学風を知るに絶好の史料と言はねば
ならぬ。
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