Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.11.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その64

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  三 学説 (1)
 改 訂 版




太虚   

箚記巻頭の自述に従ひ、中斎の学説を五段に別けて論ずると、第 一は太虚、第二は致良知、第三は変化気質、第四は一死生、第五 は去虚偽の五となる、而して中斎は之を自分の創説とせず、先賢 の成語にして吾特に之を発揮するのみと言ひ、所謂述べて作らざ るの意を表白してゐる、今彼自身の言葉を仮りて太虚を説明する と、吾が方寸の虚は口耳の虚と通じて一となり、口耳の虚は亦太 虚と通じて一となり、四海を包括し、宇宙を含容して、捉捕する ことが出来ぬ、太虚と方寸とは此の如く相通じ、太虚は即ち我方 寸中に存し、我方寸は太虚を包容する、今物を以て口中を塞げば、 其人呼吸絶えて忽ち死するは、方寸の虚の閉ぢて大虚に通ぜざる 為である、常人方寸の虚は聖人方寸の虚と同一虚であるが、気質 の清濁混明に至りては、年を同じうして語るべからざる程の差が ある、貧人室中の虚と貴人室中の虚と同一虚にして、而も四面牆 壁上下屋牀を視れば、美悪精粗の差あると等しく、常人若し進ん で聖人の地域に達せんとするならば、先づ此気質の障壁を破り、 心を太虚に帰せざるべからず、心を太虚に帰せんには、人欲を去 り天理を存せざるべからず、聖人は言あるの太虚にして、太虚は 即ち言はざるの聖人、太虚と聖人とは畢竟異る所無く、慎独克己 より入つて太虚に帰すれば、遂に聖人となるのであるが、慎独克 己より入らざれば、毫釐千里の差となつて、仏家の所謂空に陥る、 彼の空は枯寂の空にして孝弟・忠信・喜怒・哀楽・斉家・治国・ 平天下の事尽く此空中より出で、以て位育の功を遂ぐるを獲るな りとある、陽明は「良知の虚は便ち是れ天の太虚、良知の無は便 ち是れ太虚の無形」といひ、良知を以て太虚に比したことはある が、太虚に帰するを以て本願とは為なかつた、されば中斎の帰太 虚説は陽明学より出でゝ、更に一歩を転じたものと見てよろしく、 往々唯心論者の学説に類して居る、但し吾人方寸の虚は直に太虚 に通ずとは、精神界の空虚と物質界の空虚とを混同してゐるもの ではあるまいか、又心外の虚即ち無限の空間が一切万物を包容す                           ヴエーカム るといひながら、其一切万物に就いて何等の説明を加へず、空虚     ブレヌム を説いて充実に及ばなんだは不足の点であらう、殊に「太虚の理 を知らずして、而して草木の花を精算し、又其蕊を縷柝し、玉石 の文を細看し、又其理を織別す、便ち是れ日も亦足らず、労して 功無し」といふに至つては、今日より見れば全く自然科学を軽視 した僻説である、併し和漢を問はず従来経義を主とする学者は皆 此流儀である故、之を以て独り中斎を責むるは酷である。

 中斎の学説を説明し、之に批評を加へることは自分には到底不 可能の難事である。従つてこの一章は全く先輩の叙述に拠つたも のであることを明言して置く。  箚記巻頭の自述に従ひ、中斎の学説を五段に別けて論ずると、 第一は太虚、第二は致良知、第三は変化気質、第四は一死生、第 五は去虚偽の五となる。而して中斎は之を自分の創説とせず、先 賢の成語にして吾特に之を発揮するのみと言ひ、所謂述べて作ら ざるの意を表白してゐる。今中斎の言を仮りて太虚を説明すると、 吾が方寸の虚は口耳の虚と通じて一となり、口耳の虚は亦太虚と 通じて一となり、四海を包括し、宇宙を含容して、捉捕すること が出来ぬ。太虚と方寸とは此の如く相通じ、太虚は即ち我が方寸 に存し、我が方寸は太虚を太虚を包容する。今物を以て口中を塞 げば、その人呼吸絶えて忽ち死するは、方寸の虚の閉ぢて大虚に 通ぜざる為である。常人方寸の虚と同一虚であるが、気質の清濁 混明に至りては、年を同じうして語るべからざる程の差がある。 貧人室中の虚と同一虚にして、而も四面牆壁上下屋牀を視れば、 美悪精粗の差あると等しく、常人若し進んで聖人の地域に達せん とするならば、先づこの気質の障壁を破り、心を太虚に帰せざる べからず。心を太虚に帰せんには、人欲を去り、天理を存せざる べからず。聖人は言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖 人、太虚と聖人とは畢竟異る所無く、慎独克己より入つて太虚に 帰すれば、途に聖人となるのであるが、慎独克己より入らざれば、 毫釐千里の差となつて、仏家の所謂空に陥る。彼の空は枯寂の空 にして孝弟・忠信・喜怒・哀楽・斉家・治国・平天下の事その空 中より出でず、之に反して我が太虚は五倫各々その正を得て道徳 その中を貫き、孝弟・忠信・喜怒・哀楽・斉家・治国・平天下の 事尽くこの空中より出で、以て位育の功を遂ぐるを獲るなりとあ る。陽明は「良知の虚は便ち是れ天の太虚、良知の無は便ち是れ 太虚の無形」といひ、良知を以て太虚に比したことはあるが、太 虚に帰するを以て本願とは為なかつた。されば中斎の帰太虚説は 陽明学より出でゝ、更に一歩を転じたものと見て宜からう。


井上哲次郎「大塩中斎」 その22


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