角田簡
斎藤拙堂
牧園猪
岡本花亭
杉本祐憲
|
カクダカン
角田簡 通称才次郎、字は大可、九華と号す。岡藩の人にして少
壮懐徳書院に学び、著述には近世叢語続近世叢語等がある、箚記附
録抄によると、中斎は田能村竹田を介して箚記を簡に贈つたので、
両者嘗て面会したことは無い。
斎藤拙堂 名は謙、通称は徳蔵、津藩の侍読、拙堂文話の著者と
して有名である、之も中斎と面識は無い。
牧園猪 通称進士、柳川藩の儒者、附録抄にある尺牘は中斎に宛
てたのではなく、箚記及び附録を寄贈して呉れた某氏に与へたので、
文中岡本花亭から屡々大塩先生の吏事について聞いたとあるが、花
亭は単に伝聞によつて中斎の吏事を称したものか、其辺は未詳であ
る。
杉本祐憲 通稗主税、御室宮の家士、中斎が富士山へ登つた帰路
に祐憲を訪問したのが交際の始であつた。
|
カクダカン
角田簡 通称才次郎、字は大可、九華と号す。岡藩の人。少壮懐徳
書院に学び、著述には近世叢語続近世叢語等がある。附録抄によると、
中斎は田能村竹田を介して箚記を簡に贈つたので、両者嘗て面会した
ことは無い。
斎藤拙堂 名は謙、通称は徳蔵、津藩の侍読。拙堂文話の著者とし
て有名である。中斎は伊勢初遊の時、足代弘訓の紹介で、拙堂及び平
松楽斎・河村竹坡、塩日随斎等と交を訂し、爾来伊勢に遊べば必ず津
を横ぎつてゐる。拙堂は天保四年九月大阪へ来て洗心洞に数日淹留し
たこともあれば、中斎から古刀一口を周旋して貫ひ、七言古詩一篇を
賦してそれを謝したこともある。中斎が古本大学刮目の序を依頼して
居る所を見れば、拙堂には相応敬意を表したものであらう。
牧園猪 通称進士、柳川藩の儒者。附録抄にある尺牘は中斎に宛て
たのではなく、箚記及び附録を寄贈して呉れた某氏に与へたものであ
る。文中岡本花亭から屡々大塩先生の吏事について聞いたとあるが、
花亭は単に伝聞によつて中斎の吏事を称したものであらう。津藩主藤
堂家の一族数馬が在府中、花亭が中斎に面会したい希望を有してゐる
ことを聞き、人を以てその意を通じた所、中斎は「爰十年計者沈潜不
参積に御座候」と答へてゐる。
杉本祐憲 通稗主税、御室ノ宮の家士。
|