Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.1.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その80

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  五 先輩交友 (6)
 改 訂 版


角田簡  









斎藤拙堂





牧園猪

岡本花亭








杉本祐憲

 カクダカン  角田簡 通称才次郎、字は大可、九華と号す。岡藩の人にして少 壮懐徳書院に学び、著述には近世叢語続近世叢語等がある、箚記附 録抄によると、中斎は田能村竹田を介して箚記を簡に贈つたので、 両者嘗て面会したことは無い。  斎藤拙堂 名は謙、通称は徳蔵、津藩の侍読、拙堂文話の著者と して有名である、之も中斎と面識は無い。  牧園猪 通称進士、柳川藩の儒者、附録抄にある尺牘は中斎に宛 てたのではなく、箚記及び附録を寄贈して呉れた某氏に与へたので、 文中岡本花亭から屡々大塩先生の吏事について聞いたとあるが、花 亭は単に伝聞によつて中斎の吏事を称したものか、其辺は未詳であ る。  杉本祐憲 通稗主税、御室宮の家士、中斎が富士山へ登つた帰路 に祐憲を訪問したのが交際の始であつた。

 カクダカン  角田簡 通称才次郎、字は大可、九華と号す。岡藩の人。少壮懐徳 書院に学び、著述には近世叢語続近世叢語等がある。附録抄によると、 中斎は田能村竹田を介して箚記を簡に贈つたので、両者嘗て面会した ことは無い。  斎藤拙堂 名は謙、通称は徳蔵、津藩の侍読。拙堂文話の著者とし て有名である。中斎は伊勢初遊の時、足代弘訓の紹介で、拙堂及び平 松楽斎・河村竹坡、塩日随斎等と交を訂し、爾来伊勢に遊べば必ず津 を横ぎつてゐる。拙堂は天保四年九月大阪へ来て洗心洞に数日淹留し たこともあれば、中斎から古刀一口を周旋して貫ひ、七言古詩一篇を 賦してそれを謝したこともある。中斎が古本大学刮目の序を依頼して 居る所を見れば、拙堂には相応敬意を表したものであらう。  牧園猪 通称進士、柳川藩の儒者。附録抄にある尺牘は中斎に宛て たのではなく、箚記及び附録を寄贈して呉れた某氏に与へたものであ る。文中岡本花亭から屡々大塩先生の吏事について聞いたとあるが、 花亭は単に伝聞によつて中斎の吏事を称したものであらう。津藩主藤 堂家の一族数馬が在府中、花亭が中斎に面会したい希望を有してゐる ことを聞き、人を以てその意を通じた所、中斎は「爰十年計者沈潜不 参積に御座候」と答へてゐる。  杉本祐憲 通稗主税、御室ノ宮の家士。


「大塩平八郎」目次2/ その79/その81

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