Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.1.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その79

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  五 先輩交友 (5)
 改 訂 版


間長涯  

                        ハザマ  間長涯 中斎一斎往復の書翰中附録(七)(八)にある間生は、通                      シゲトミ タイゲフ 称を十一屋五郎兵衛といふ質屋の主人で、名を重富字を大業とい ふ、  間長涯 中斎一斎往復の書翰中附録(七)(八)にある間生は、通                      シゲトミ タイゲフ 称を十一屋五郎兵衛といふ質屋の主人で、名を重富字を大業とい ふ、京橋口同心高橋作左衛門と相並んで天文家麻田剛立の左右の 高足弟子で、作左衛門と同じく幕府に召され、改暦の事に与り、 功を以て名字帯刀を許された大阪有数の科学者である、長涯が中 斎の知己になつたは何時からであるか解らぬが、彼が中斎と交を 絶つたは挙兵前半年計で、それには、一條の話である、七年の秋 の頃長涯が洗心洞の塾の方へ行つて見ると、下駄の脱ぎ方が甚だ 乱暴で、片足づゝ散乱してゐる始末、毎々中斎から頼まれて居る には、何事によらず此方の行届かぬ点があつたら、遠慮なく知ら せて呉れよとあるのを想出し、中斎に告げた所、御心付誠に忝な しと懇々礼を述べた、然るに一月程経て行つて見ると、下駄の脱 方は以前と同様乱暴であるので、長涯は中斎の心と言と相違ある を知り、それからは再び洗心洞を訪はなかつたといふ、但し述斎 長涯両人はその詩文が附録抄にある訳ではないが、便宜上此所に 附説したのである。

                   


坂本鉉之助「咬菜秘記」その49


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