ハザマ
間長涯 中斎一斎往復の書翰中附録(七)(八)にある間生は、通
シゲトミ タイゲフ
称を十一屋五郎兵衛といふ質屋の主人で、名を重富字を大業とい
ふ、
間長涯 中斎一斎往復の書翰中附録(七)(八)にある間生は、通
シゲトミ タイゲフ
称を十一屋五郎兵衛といふ質屋の主人で、名を重富字を大業とい
ふ、京橋口同心高橋作左衛門と相並んで天文家麻田剛立の左右の
高足弟子で、作左衛門と同じく幕府に召され、改暦の事に与り、
功を以て名字帯刀を許された大阪有数の科学者である、長涯が中
斎の知己になつたは何時からであるか解らぬが、彼が中斎と交を
絶つたは挙兵前半年計で、それには、一條の話である、七年の秋
の頃長涯が洗心洞の塾の方へ行つて見ると、下駄の脱ぎ方が甚だ
乱暴で、片足づゝ散乱してゐる始末、毎々中斎から頼まれて居る
には、何事によらず此方の行届かぬ点があつたら、遠慮なく知ら
せて呉れよとあるのを想出し、中斎に告げた所、御心付誠に忝な
しと懇々礼を述べた、然るに一月程経て行つて見ると、下駄の脱
方は以前と同様乱暴であるので、長涯は中斎の心と言と相違ある
を知り、それからは再び洗心洞を訪はなかつたといふ、但し述斎
長涯両人はその詩文が附録抄にある訳ではないが、便宜上此所に
附説したのである。
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