Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.2.6

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その81

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  五 先輩交友 (7)
 改 訂 版


川北重熹 









大友参






吉村晋




宇津木泰交




平松正愨






猪飼敬所

 川北重熹 通称喜右衛門、島原藩の儒臣、中斎とは一面識も無い、 併し屡々京摂の間を往来し、横山生を介して刺を通ぜんと欲したとあ るから、横山生は中斎に懇意な者であつたと見えるが、其履歴は詳で ない。  大友参 号は遠霞、筑前の人、嘗て上国に在り、中斎の名声を聞き、 刺を通ぜんとして遂に得ずとあれば、之も亦書面の往復に止まつてゐ る。  吉村晋 通称隆助、字は麗明、号は秋陽、芸州の人、本姓は小田氏、 一斎の門にて陽明学を奉じ、慶応二年十一月七十歳を以て歿した。  宇津木泰交 俗名下総、彦根藩老臣にて同苗矩之允の実兄である。  平松正愨 通称之助、後に喜蔵、字は子愿、楽斎と号す、津藩 の臣、これは伊勢の両文庫に箚記わ奉納した帰路、中斎の方から訪問 した、天保八年二月廿五日付の猪飼敬所の手紙に、「貴兄去年大塩方 に御逗留の様子」とあるが委細は解らぬ。  猪飼敬所 名は彦博、字は希文、敬所と号し、宝暦十一年京都に生 る、三冊本の儒門空虚聚語の欄外には此人の校訂が出て居る、天保八 年四月敬所から三谷謙譲に与へた手紙に、「大塩平八、一昨年夏儒門 空虚聚語校讐記を附し、老拙を嘲り、且其以前洗心洞箚記中に、彼が 学術に係らずして甚誤候三事を申遣し、能容人言や否を試ミ候処、初 秋以書状其非を文り、且以狡猾之詞欲鉗二老拙の口、老拙不勝棒腹、 励言これに答候、其後絶交候」とある。

 川北重熹 通称喜右衛門、島原藩の儒臣。中斎とは一面識も無い。 併し屡々京摂の間を往来し、横山生を介して刺を通ぜんと欲したとあ るから、横山生は中斎に懇意な者であつたと見える。  大友参 号は遠霞、筑前の人。嘗て上国に在り、中斎の名声を聞き、 刺を通ぜんとして遂に得ずとあれば、之も亦書面の往復に止まつてゐ る。  吉村晋 通称隆助、字は麗明、号は秋陽、芸州の人。本姓は小田氏。 一斎の門人にて陽明学を奉じ、慶応二年十一月七十歳を以て歿した。  宇津木泰交 通租下総、彦根藩老臣にて同苗矩之允の実兄である。  平松正愨 通称之助、後に喜蔵、名は正愨、字は子愿、津藩の 臣。格之助の結婚式に祝物を贈つてゐる所から考へると、余程親しく 交際したらしい。天保八年二月廿五日付の猪飼敬所の手紙に、「貴兄 去年大塩方に御逗留の様子」とあるが委細は解らぬ。


「大塩平八郎」目次2/ その80/その82

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ