Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.3.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その91

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  六 門人 (2)
 改 訂 版


宇津木靖 












白井孝右衛
門



白井彦右衛
門








橋本忠兵衛









松本乾知







松浦誠之

 宇津木靖 字は共甫、号は静区、通称は俵二また矩之允、 彦根藩老臣宇津木下総の弟で、同門松浦誠之湯川幹と共に大 学刮目に訓点を施し、箚記附録抄には同人の詩二首を録し、 又答人論学書略には答宇津木共甫論心理、再答宇津木共甫の 二篇がある。天保五年の入塾で、其後長崎に遊び、挙兵の当 日大塩邸で殺害に遭うた悲惨の事実は後文に譲る。     白井履 字は尚賢、松浦誠之と共に天保三年中斎の江州行 に従ひ、湖上で散々な目にあつた人で、これは恐くは守口町 に百姓兼質屋渡世をしてゐる白井彦右衛門の父孝右衛門町奉 行所最初の口書に幸右衛門とありの事であらう、孝右衛門は 文政八年三十七歳にて入門し、大塩邸勝手向不都合の節は金 銀の融通をなし、其子彦右衛門も亦幼年の時洗心洞塾に寄宿 して居つたが、鬱症にかゝり読書も出来かねて退塾した。     橋本貞 字は含章、これは恐くは般若寺村庄屋橋本忠兵衛 の事であらう、忠兵衛は高五十石の田畑を所待してゐたとい へぱ随分の大百姓で、平八郎の妾ゆうの仮親、格之助の妻み ねの実父で、孝右衛門同様平八郎の為に金銀の融通をも為し た。  松本乾知 字は道済、細字に巧な人と見え、箚記上巻の或 問、空虚聚語の序語附載・並に孝経彙註の序は同人の筆であ る、松浦誠之但馬守約と共に箚記を点校し、尚天保六年版の 同書には跋を書いてゐる。  松浦誠之 字は千之、刮目及箚記校訂者の一人で、天保六 年版の箚記には誠之の跋あり、文中師門に親炙すること凡そ 十年といへば、門人中可成の古顔で、答人論学書略には答大 塩尚志・松浦誠之、但馬守約・湯川幹問の一篇がある、大塩 一党の裁許書中無罪の部に東組同心松浦光三郎の名が見える が、恐くは誠之同人か、又はその親戚であらう。

 宇津木靖 字は共甫、号は静区、通称矩之允一に俵二とい ふ。彦根藩老臣宇津木下総の弟で、同門松浦誠之湯川幹と共 に大学刮目に訓点を施し、箚記附録抄には同人の詩二首を録 し、また答人論学書略には答宇津木共甫論心理、再答宇津木 共甫の二篇がある。天保五年の入塾で、その後長崎に遊び、 挙兵の当日大塩邸で殺害に遭つた悲惨の事実は後文に譲る。     白井履 字は筒賢。松浦誠之と共に天保三年中斎の江州行 に従ひ、湖上で散々な目にあつた人で、これは河州茨田郡守 口町に百姓兼質屋渡世をしてゐる白井彦右衛門の父孝右衛門 町奉行所最初の口書に幸右衛門とありの事である。孝右衛門 は文政八年三十七歳(この時中斎三十三歳)にて入門し、大塩 邸勝手向不都合の節は金銀の融通をなし、その子彦右衛門も 亦幼年の時洗心洞塾に寄宿して居つたが、鬱症にかゝり読書 も出来かねて退塾した。     橋本貞 字は含章。これは般若寺村庄屋橋本忠兵衛の事で ある。忠兵衛は高五十石の田畑を所待してゐたといへぱ随分 の大百姓で、平八郎の妾ゆうの兄分、格之助の妻みねの実父 で、孝右衛門同様平八郎の為に金銀の融通をした。  松本乾知 通称保太郎、字は道済。細字に巧な人と見え、 箚記上巻の或問、空虚聚語の序語附載、並びに孝経彙註の序 は同人の筆である。松浦誠之但馬守約と共に箚記を点校し、 尚天保六年版の同書には跋を書いてゐる。天保六年七月歿。  松浦誠之 通称貞介、字は千之、大阪小島町医師李白忰。 箚記及び箚記校訂者の一人で、天保六年版の 箚記には誠之の跋あり、文中師門に親炙すること凡そ十年 といへば、門人中可成の古顔で、答人論学書略には答大塩尚 志、松浦誠之・但馬守約・湯川幹問の一篇がある。挙兵に加 盟したのではないが乱後入牢病死。


「大塩平八郎」目次2/ その90/その92

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