宇津木靖
白井孝右衛
門
白井彦右衛
門
橋本忠兵衛
松本乾知
松浦誠之
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宇津木靖 字は共甫、号は静区、通称は俵二また矩之允、
彦根藩老臣宇津木下総の弟で、同門松浦誠之湯川幹と共に大
学刮目に訓点を施し、箚記附録抄には同人の詩二首を録し、
又答人論学書略には答宇津木共甫論心理、再答宇津木共甫の
二篇がある。天保五年の入塾で、其後長崎に遊び、挙兵の当
日大塩邸で殺害に遭うた悲惨の事実は後文に譲る。
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白井履 字は尚賢、松浦誠之と共に天保三年中斎の江州行
に従ひ、湖上で散々な目にあつた人で、これは恐くは守口町
に百姓兼質屋渡世をしてゐる白井彦右衛門の父孝右衛門町奉
行所最初の口書に幸右衛門とありの事であらう、孝右衛門は
文政八年三十七歳にて入門し、大塩邸勝手向不都合の節は金
銀の融通をなし、其子彦右衛門も亦幼年の時洗心洞塾に寄宿
して居つたが、鬱症にかゝり読書も出来かねて退塾した。
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橋本貞 字は含章、これは恐くは般若寺村庄屋橋本忠兵衛
の事であらう、忠兵衛は高五十石の田畑を所待してゐたとい
へぱ随分の大百姓で、平八郎の妾ゆうの仮親、格之助の妻み
ねの実父で、孝右衛門同様平八郎の為に金銀の融通をも為し
た。
松本乾知 字は道済、細字に巧な人と見え、箚記上巻の或
問、空虚聚語の序語附載・並に孝経彙註の序は同人の筆であ
る、松浦誠之但馬守約と共に箚記を点校し、尚天保六年版の
同書には跋を書いてゐる。
松浦誠之 字は千之、刮目及箚記校訂者の一人で、天保六
年版の箚記には誠之の跋あり、文中師門に親炙すること凡そ
十年といへば、門人中可成の古顔で、答人論学書略には答大
塩尚志・松浦誠之、但馬守約・湯川幹問の一篇がある、大塩
一党の裁許書中無罪の部に東組同心松浦光三郎の名が見える
が、恐くは誠之同人か、又はその親戚であらう。
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宇津木靖 字は共甫、号は静区、通称矩之允一に俵二とい
ふ。彦根藩老臣宇津木下総の弟で、同門松浦誠之湯川幹と共
に大学刮目に訓点を施し、箚記附録抄には同人の詩二首を録
し、また答人論学書略には答宇津木共甫論心理、再答宇津木
共甫の二篇がある。天保五年の入塾で、その後長崎に遊び、
挙兵の当日大塩邸で殺害に遭つた悲惨の事実は後文に譲る。
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白井履 字は筒賢。松浦誠之と共に天保三年中斎の江州行
に従ひ、湖上で散々な目にあつた人で、これは河州茨田郡守
口町に百姓兼質屋渡世をしてゐる白井彦右衛門の父孝右衛門
町奉行所最初の口書に幸右衛門とありの事である。孝右衛門
は文政八年三十七歳(この時中斎三十三歳)にて入門し、大塩
邸勝手向不都合の節は金銀の融通をなし、その子彦右衛門も
亦幼年の時洗心洞塾に寄宿して居つたが、鬱症にかゝり読書
も出来かねて退塾した。
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橋本貞 字は含章。これは般若寺村庄屋橋本忠兵衛の事で
ある。忠兵衛は高五十石の田畑を所待してゐたといへぱ随分
の大百姓で、平八郎の妾ゆうの兄分、格之助の妻みねの実父
で、孝右衛門同様平八郎の為に金銀の融通をした。
松本乾知 通称保太郎、字は道済。細字に巧な人と見え、
箚記上巻の或問、空虚聚語の序語附載、並びに孝経彙註の序
は同人の筆である。松浦誠之但馬守約と共に箚記を点校し、
尚天保六年版の同書には跋を書いてゐる。天保六年七月歿。
松浦誠之 通称貞介、字は千之、大阪小島町医師李白忰。
箚記及び箚記校訂者の一人で、天保六年版の
箚記には誠之の跋あり、文中師門に親炙すること凡そ十年
といへば、門人中可成の古顔で、答人論学書略には答大塩尚
志、松浦誠之・但馬守約・湯川幹問の一篇がある。挙兵に加
盟したのではないが乱後入牢病死。
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