瀬田済之助
小泉淵次郎
荻野四郎助
庄司義左衛
門
近藤梶五郎
平山助次郎
吉見九郎右
衛門
吉見英太郎
河合郷左衛
門
河合八十次
郎
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此外、評定所の吟味書類其他によつて洗心洞の門人を捜索す
ると、
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瀬田済之助 東組与力、豊田貢一件に中斎と相役であつた
瀬田藤四郎の養子で、挙兵当時廿五歳計。
▲
小泉淵次郎 東組与力。郡山藩主柳沢甲斐守家来青木弥之
助の甥、天保三年東組与力小泉忠兵衛の養子と為り、挙兵の
日町奉行所に斬らる、年十八。
荻野四郎助 東組与力荻野勘左衛門忰。
▲
庄司義左衛門 東組同心、元来は河州丹北郡東瓜破村百姓
助右衛門の子にて、文政四年摂州住吉郡堀村百姓久右衛門事
茂左衛門の養子となり、同人実家といふ名義の下に、同年九
月再び東組同心庄司百蔵の養子と為つた者である、文政七年
廿七歳の時平八郎槍術の門人となり、天保二年より読書を受
く。
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近藤梶五郎 東組同心近藤鍋五郎の子、挙兵当時四十歳計。
▲
平山助次郎 東組同心、文政三年十五歳にて見習勤となり、
翌年平八郎方へ入門し、天保七年町目附に進む。
▲
吉見九郎右衛門 東組同心、本姓林氏にて同じく東組同心
の家柄なり、文政十一年三十八歳にて入門。
吉見英太郎 九郎右衛門忰、天保二年三月十歳にて入門寄
宿。
▲
河合郷左衛門 東組同心、河合善太夫の子にて見習勤中、
天保八年正月廿七日三男謹之助を連れ出奔。
河合八十次郎 郷左衛門忰、天保二年十二歳にて入門寄宿。
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以上十三名の外、吟味書類その他によつて洗心洞の門人を捜索
すると左の通り。但し真に門人であつたか、大塩邸に出入した
に止まるか、不明の分も若干ある。
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瀬田済之助 東組与力。豊田貢一件に中斎と相役であつた瀬
田藤四郎の養子で、挙兵当時廿五歳計。
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小泉淵次郎 東組与力。郡山藩主柳沢甲斐守家来青木弥之助
の弟、天保三年東組与力小泉忠兵衛の養子と為り、挙兵の日町
奉行所にて斬らる、年十八。
荻野四郎助 東組与力荻野勘左衛門忰。
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庄司義左衛門 東組同心。河州丹北郡東瓜破村百姓助右衛門
の子で、文政四年摂州住吉郡堀村百姓久右衛門事茂左衛門の養
子となり、同人実家といふ名義の下に、同年九月再び東組同心
庄司百蔵の養子と為つた者である。文政七年廿十七歳の時平八
郎槍術の門人となり、天保二年より読書を受く。
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近藤梶五郎 東組同心近藤鍋五郎の子。挙兵当時四十歳計。
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平山助次郎 東組同心。文政三年十五歳にて見習勤となり、
翌年平八郎方へ入門し、天保七年町目附に進む。
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吉見九郎右衛門 東組同心。東組同心林与次右衛門の子、文
化二年同組同心吉見小源次の養子となる。文政十一年三十八歳
にて入門、挙兵の当時川浚役を勤む。
吉見英太郎 九郎右衛門忰、天保二年三月十歳にて入門寄宿。
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河合郷左衛門 東組同心河合善太夫の子にて見習勤中、天保
八年正月廿七日三男謹之助を連れ出奔。
河合八十次郎 郷左衛門忰、天保二年十二歳にて入門寄宿。
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