竹上万太郎
大井正一郎
米倉偵次郎
白井儀次郎
深尾才次郎
茨田郡次
高橋九右衛
門
柏岡源右衛
門
柏岡伝七
西村利三郎
上田孝太郎
木村熊次郎
木村司馬之
助
|
▲
竹上万太郎 弓奉行上田五兵衛組同心、文化二年十七歳の時、兄
熊三郎病気につき其養子となつて職を継ぎ、挙兵当時は同心小頭を
勤む、幼少より平八郎と懇意にて、文化十一年の頃入門、守口町白
井孝右衛門の縁者であつた。
▲
大井正一郎 一にサ一郎とあり、玉造口与力大井伝次兵衛忰、天
保六年三月廿一歳にて入門寄宿。幼年より有名の乱暴者で両親親族
の意見を聴かず、見るに見兼ねて之を大塩塾に入れしめたは坂本鉉
之助の周旋であつたが、生来の無法は一朝一夕に癒らず、七年二月
実家より帰塾の途中乱酔し、刀を抜いて人を傷けたことがある、平
八郎の命で宇津木矩之允を殺したも此男で、彼が入塾の始末及挙兵
前に伝次兵衛より久離願の出てゐたものとして、大井家を無事に存
した顛末等は、咬菜秘記に委しく出てをる。
米倉偵次郎 玉造口与力、嘗て洗心洞へ入塾した為、挙兵の日天
満の失火とのみ思ひ、火事見舞として大塩邸へ赴いたことが咬菜秘
記にある。
▲
白井儀次郎 河州渋河郡衣摺村百姓市太郎弟にて、白井彦右衛門
の従弟に当る、天保元年入塾、同七年二月病気につき退塾、彦右衛
門方へ引取らる、天保六年版の箚記巻頭の後自述の末に門人白井為
本謹書とあるが、為本は即ち儀次郎のことであらう。
▲
深尾才次郎 河州交野郡尊延寺村百姓次兵衛弟、白井孝右衛門の
縁者といふ。
▲
茨田郡次 一本に氏を松田名を軍次ともある、河州茨田郡門真三
番村百姓、天保元年白井孝右衛門の紹介にて入門。
▲
高橋九右衛門 同村百姓、白井孝右衛門の世話にて天保五年頃よ
り大塩邸の勝手向の世話をしてゐた。
▲
柏岡源右衛門 摂州東成郡般若寺村年寄、同村橋本忠兵衛の紹介
にて天保五年入門。
▲
柏岡伝七 般若寺村百姓代、前書源右衛門と同様の手続にて天保
四年入門。
▲
西村利三郎 河州志紀郡弓削村百姓、一名七右衛門。
▲ カスガエ
上田孝太郎 摂州東成郡沢上江村百姓与一右衛門忰、文政十二年
十五歳にて入塾、天保六年退塾。
木村熊次郎 同郡猪飼野村木村権右衛門忰。
▲
木村司馬之助 本家権右衛門の忰熊次郎入門につれ、文政十一年
頃より大塩邸に出入して居た。
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竹上万太郎 弓奉行上田五兵衛組同心。文化二年十七歳の時、兄
熊三郎病気につきその養子となつて職を継ぎ、挙兵当時は同心小頭
を勤む。幼少より平八郎と懇意にて、文化十一年の頃入門、守口町
白井孝右衛門の縁者であつた。
▲
大井正一郎 一にサ一郎とあり、玉造口与力大井伝次兵衛忰、天
保六年三月廿一歳にて入門寄宿。幼年より有名の乱暴者で両親親族
の意見を聴かず、見るに見兼ねて之を大塩塾に入れしめたは坂本鉉
之助の周旋であつたが、生来の無法は一朝一夕に癒らず、七年二月
実家より帰塾の途中乱酔し、刀を抜いて人を傷けたことがある。平
八郎の命で宇津木矩之允を殺したはこの男で、彼が入塾の始末及び
挙兵前に伝次兵衛より久離願の出てゐたものとして、大井家を無事
に存した顛末等は、咬菜秘記に委しく出てをる。
米倉偵次郎 玉造口与力、嘗て洗心洞へ入塾した為、挙兵の日天
満の失火とのみ思ひ、火事見舞として大塩邸へ赴いたことが咬菜秘
記にある。
▲
白井儀次郎 河州渋河郡衣摺村百姓市太郎弟にて、白井彦右衛門
の従弟に当る。天保元年入塾、同七年二月病気につき退塾、彦右衛
門方へ引取らる、天保六年版の箚記巻頭の後自述の末に門人白井為
本謹書とあるが、為本は即ち儀次郎のことであらう。
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深尾才次郎 河州交野郡尊延寺村百姓次兵衛弟、白井孝右衛門の
縁者といふ。
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茨田郡次 一本に氏を松田名を軍次ともある。河州茨田郡門真三
番村百姓、天保元年白井孝右衛門の紹介にて入門。
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高橋九右衛門 同村百姓、白井孝右衛門の世話にて天保五年頃よ
り大塩邸の勝手向の世話をしてゐた。
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柏岡源右衛門 摂州東成郡般若寺村年寄、同村橋本忠兵衛の紹介
にて天保五年入門。
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柏岡伝七 般若寺村百姓代、前書源右衛門と同様の手続にて天保
四年入門。
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西村利三郎 河州志紀郡弓削村百姓、一名七右衛門。
▲ カスガエ
上田孝太郎 摂州東成郡沢上江村百姓与一右衛門忰、文政十二年
十五歳にて入塾、天保六年退塾。
木村熊次郎 同郡猪飼野村木村権右衛門忰。
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木村司馬之助 本家権右衛門の忰熊次郎入門につれ、文政十一年
頃より大塩邸に出入してゐた。
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