Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.4.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その94

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  六 門人 (5)
 改 訂 版



竹上万太郎








大井正一郎

















米倉偵次郎





白井儀次郎








深尾才次郎




茨田郡次





高橋九右衛
門




柏岡源右衛
門




柏岡伝七





西村利三郎



上田孝太郎


木村熊次郎


木村司馬之
助

   竹上万太郎 弓奉行上田五兵衛組同心、文化二年十七歳の時、兄 熊三郎病気につき其養子となつて職を継ぎ、挙兵当時は同心小頭を 勤む、幼少より平八郎と懇意にて、文化十一年の頃入門、守口町白 井孝右衛門の縁者であつた。    大井正一郎 一にサ一郎とあり、玉造口与力大井伝次兵衛忰、天 保六年三月廿一歳にて入門寄宿。幼年より有名の乱暴者で両親親族 の意見を聴かず、見るに見兼ねて之を大塩塾に入れしめたは坂本鉉 之助の周旋であつたが、生来の無法は一朝一夕に癒らず、七年二月 実家より帰塾の途中乱酔し、刀を抜いて人を傷けたことがある、平 八郎の命で宇津木矩之允を殺したも此男で、彼が入塾の始末及挙兵 前に伝次兵衛より久離願の出てゐたものとして、大井家を無事に存 した顛末等は、咬菜秘記に委しく出てをる。  米倉偵次郎 玉造口与力、嘗て洗心洞へ入塾した為、挙兵の日天 満の失火とのみ思ひ、火事見舞として大塩邸へ赴いたことが咬菜秘 記にある。    白井儀次郎 河州渋河郡衣摺村百姓市太郎弟にて、白井彦右衛門 の従弟に当る、天保元年入塾、同七年二月病気につき退塾、彦右衛 門方へ引取らる、天保六年版の箚記巻頭の後自述の末に門人白井為 本謹書とあるが、為本は即ち儀次郎のことであらう。    深尾才次郎 河州交野郡尊延寺村百姓次兵衛弟、白井孝右衛門の 縁者といふ。    茨田郡次 一本に氏を松田名を軍次ともある、河州茨田郡門真三 番村百姓、天保元年白井孝右衛門の紹介にて入門。    高橋九右衛門 同村百姓、白井孝右衛門の世話にて天保五年頃よ り大塩邸の勝手向の世話をしてゐた。    柏岡源右衛門 摂州東成郡般若寺村年寄、同村橋本忠兵衛の紹介 にて天保五年入門。    柏岡伝七 般若寺村百姓代、前書源右衛門と同様の手続にて天保 四年入門。    西村利三郎 河州志紀郡弓削村百姓、一名七右衛門。             カスガエ  上田孝太郎 摂州東成郡沢上江村百姓与一右衛門忰、文政十二年 十五歳にて入塾、天保六年退塾。  木村熊次郎 同郡猪飼野村木村権右衛門忰。    木村司馬之助 本家権右衛門の忰熊次郎入門につれ、文政十一年 頃より大塩邸に出入して居た。

   竹上万太郎 弓奉行上田五兵衛組同心。文化二年十七歳の時、兄 熊三郎病気につきその養子となつて職を継ぎ、挙兵当時は同心小頭 を勤む。幼少より平八郎と懇意にて、文化十一年の頃入門、守口町 白井孝右衛門の縁者であつた。    大井正一郎 一にサ一郎とあり、玉造口与力大井伝次兵衛忰、天 保六年三月廿一歳にて入門寄宿。幼年より有名の乱暴者で両親親族 の意見を聴かず、見るに見兼ねて之を大塩塾に入れしめたは坂本鉉 之助の周旋であつたが、生来の無法は一朝一夕に癒らず、七年二月 実家より帰塾の途中乱酔し、刀を抜いて人を傷けたことがある。平 八郎の命で宇津木矩之允を殺したはこの男で、彼が入塾の始末及び 挙兵前に伝次兵衛より久離願の出てゐたものとして、大井家を無事 に存した顛末等は、咬菜秘記に委しく出てをる。  米倉偵次郎 玉造口与力、嘗て洗心洞へ入塾した為、挙兵の日天 満の失火とのみ思ひ、火事見舞として大塩邸へ赴いたことが咬菜秘 記にある。    白井儀次郎 河州渋河郡衣摺村百姓市太郎弟にて、白井彦右衛門 の従弟に当る。天保元年入塾、同七年二月病気につき退塾、彦右衛 門方へ引取らる、天保六年版の箚記巻頭の後自述の末に門人白井為 本謹書とあるが、為本は即ち儀次郎のことであらう。    深尾才次郎 河州交野郡尊延寺村百姓次兵衛弟、白井孝右衛門の 縁者といふ。    茨田郡次 一本に氏を松田名を軍次ともある。河州茨田郡門真三 番村百姓、天保元年白井孝右衛門の紹介にて入門。    高橋九右衛門 同村百姓、白井孝右衛門の世話にて天保五年頃よ り大塩邸の勝手向の世話をしてゐた。    柏岡源右衛門 摂州東成郡般若寺村年寄、同村橋本忠兵衛の紹介 にて天保五年入門。    柏岡伝七 般若寺村百姓代、前書源右衛門と同様の手続にて天保 四年入門。    西村利三郎 河州志紀郡弓削村百姓、一名七右衛門。             カスガエ  上田孝太郎 摂州東成郡沢上江村百姓与一右衛門忰、文政十二年 十五歳にて入塾、天保六年退塾。  木村熊次郎 同郡猪飼野村木村権右衛門忰。    木村司馬之助 本家権右衛門の忰熊次郎入門につれ、文政十一年 頃より大塩邸に出入してゐた。


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