乱魁
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与力として又学者として令名三都に鳴響いた平八郎後素は、乱魁の
二字を以て其一生を終るに至つた、彼は利を見て肯て進まず、害を
見て肯へて退かず、功を同じうすれば則ち之を人に帰し、過を同じ
うすれば則ち之を己に受くるといふ覚悟を以て、目安役並証文役か
ら吟味役まで勤上げた能吏である、一旦意を決して辞職したとはい
へ、高臥労苦を舎つるを潔しとせず、夙に興き夜に寝ぬ、経籍を研
して生徒に授け、学んで厭はず、人に誨へて倦まざりし師儒である、
彼は自ら言へる如く、大に声誉を求めんと欲せず、又再び世に用に
用ゐられんと欲し無かつたのであるが、百事を一擲し去つて出世間
的の障害を営むこと、彼の稗史小説にある仙家道士の如くならんこ
とを願はず、其学説に於て知行合一を主張したりし中斎の最大理想
は、之を以て身を修め家を斉へ、推しては天下国家を治めんとする
にあつて、世間は常に彼の眼底に映じ、国家の利害人民の休戚は、
絶えず彼の胸中に存してゐた、荻野四郎助に与ふる手紙に「無之事
に者候得共、天下御大切之是と申事之節者、隠居ながらも急度砕身
粉骨可致積」とあるのは、能く此間の機微を証明するものといふべ
しだ、而も此の如き経歴と此の如き志望とを抱ける巨人をして、一
朝同志を語ひ、白刃長槍を携へ、火を放ち銃を発し、市街を横行し
て捕手の人数に抵抗するに至らしめたは抑も何であるか、挙兵の理
由と兎もあれ角もあれ、当時の為政者から見れば乱魁の二字を下し
て豪も差支え無いのである。
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良吏として又学者として令名のあつた平八郎後素は、乱魁の二字
を以てその一生を終はるに至つた。彼は利を見て肯へて進まず、害
を見て肯へて退かず、功を同じうすれば則ち之を人に帰し、過を同
じうすれば則ち之を己に受くといふ覚悟を以て、吏務に精励した。
然し彼の為した所はその職掌に因るとはいへ、常に秋霜烈日の如く
で、絶えて春風駘蕩たる所がない。彼は在職中既に帷を垂れて生徒
を教授したが、退職後愈々経籍を研して生徒に授け、学んで厭はず、
人に誨へて倦まず、また再び世に用ひられんことを欲し無かつた。
然し世間は常に彼の眼底に映じ、国家の利害人民の休戚は、常に彼
の胸中を往来した。「無之事には候得共、天下御大切之是と申事の
節は、隠居ながらも急度砕身粉骨可致積」とあるのは、彼の終局の
決心を止露したものといふべきだ。此の如き経歴と此の如き意志と
を有せる巨人をして、一朝同志を語らひ、白刃長槍を携へ、火を放
ち銃を発し、市街を横行して「乱魁」の汚名を被むるに至らしめた
は抑も何であるか。
何故か何時かといふ問に対し、歴史上の題目で答へられぬものが
少くない。殊に内密に計画される性質のもので、然もその計画が失
敗に終はつた場合には、大抵正確な答は得られぬのが例で、成功者
側に記録が残り、失敗者側に記録の滅ぶことは、一般の規則といつ
て宜い位である。大塩乱に就いては幸に檄文附録(五)の文句が伝
へられてあるから、之によつて挙兵の理由を検出して見よう。
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