前記の歎願書に金主が金を引上げるといふ一句がある。札差が
自分の手許の金を貸すのではなく、金主の金を借出して札旦那に
用立てゐた所、利息が引下げられたため、金主がその出資金を取
立てるといふ意味である。実際金主のある場合もあらうが、内実
自分の金を出しながら架空の人物を金主とすることもあつたであ
らう。さうして利子は少々御高う御座いますがといふ。借手にお
いては騎虎の勢で如何とも致方なく、高利を承知して借金する。
その上、札差は自分が奥印をしたといふのを恩にかけて礼金即ち
口入料をとる。催促の段になつても先方が喧しいから、返金がお
出来にならぬなら証文を書替へませうといひ、その際礼金をとる。
月踊と唱へて同じ月の利子を二重にとることすら出来する。かや
うな貸金を奥印金又は口入金といふ。そこで安永六年(一七七七)
札差仲間を取調べ、不法の利息や礼金をとつたものを悉く処罰し、
翌年金一両につき銀九分の外高利を請取つてはならぬ。用立金に
他の金子を口入することは相成らぬ、所持金が不足ならば仲間同
士で用立てるやうにと厳命してゐる。
札旦那の中にも仲々悪辣なのがある。札旦那が蔵宿から借金す
る時は、三季の切米で差引勘定をしてくれるようにとある証文を
ヂキサシ
渡す。それでありながら一方頭支配に向つて今季の切米は直差を
致しますと断はる。直差といふのは本人自身で請取る意味です。
頭支配は本人が蔵宿に対してどの位借金があるか承知してゐない。
若し本人が巧く直差をして仕舞へば、後で蔵宿から訴へ出ても、
それは普通の貸借と見て切金の裁決となる。切金といふのは金高
に応じてそれ\゛/金高と期限とを定めて返済せよといふのであ
る。貸主にとつては至極迷惑であるから、蔵宿は本人が直差をし
ない以前に、御切米請取証文を自分の手へ取らねばならぬ。この
直差は世話人があつて、礼金をとつてやつた仕事である。札差仲
間の訴訟により世話人の弊がやむと、今度はまた蔵宿師といふも
のが出て来た。これは札旦那の依頼をうけ、蔵宿に向つて無法な
談判を持込む。本来蔵宿に金談に行くのは本人か若しくは親類家
来の中で行くのが当然であるが、無法の談判、例へばもつと金を
貸せとか、借金を年賦にしてくれろとかいふ場合には、蔵宿師に
礼金をやつてたのむ。蔵宿師の身分を洗へば浪人か町人で、時と
しては旗本御家人の隠居子弟等も居た。談判の結果が意に満たぬ
と己れ武士に向つて慮外なといつて長いものを抜く。実際札差の
手代を傷けた話もある。その場合本人は御扶持召上、手代は科料
になつた。中には既に多額の借金を有し、到底新借の聞入れられ
ぬを慮つて、突然蔵宿をかへるものもある。これを転宿といふ。
今迄取引して居つた蔵宿にとつては大変迷惑なことであるから、
蔵宿の方でも新規引請は充分に注意し、依頼者の負債状態を調査
した上、諾否を決する。然し一旦引受けた以上は、新蔵宿でその
旦那の旧負債を前蔵宿に支払ふ義務を負担した。
札差の店頭に六ケ條の定書が、貼付けてある。安永七年(一七
七八)からのことで、毎年正月に行事が張替に廻り、また一年に
二三度検査に来る。糊がはがれたといつても自分で勝手に貼るこ
とは出来ない。一々行事に届出でて貼るといふ程やかましいもの
で、それを見ると蔵宿と札旦那との従来の弊害がよく想像せられ
る。
第一條 他所の金子奥印并諸請合印形等、似寄候儀にても一
切不 仕候事。
第三條 御用立金にて礼金并御酒代ケ間敷儀、一切請取不申
候事。
第五條 御屋敷様方より米金其外御対談向の儀に付、御当人
様御掛合難 被 遊節は、御親類様并御家来衆を以被 仰下
候節は御対談可 申上 候。其外の御方様次に諸浪人并町人
を以被 仰下 候節は、及 御対談に 不 申候。為 念此段兼
而御断申上置候事。
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