大阪では天保の初に淀川筋に大浚を行つた。その時の費用は
「御貸付銀四朱利銀」の内六百貫目を出し、民間からの冥加銀二
千三百貫目を加へ、一切の費用を支払つた所、尚三百貫目ばかり
残つたので、これを船方又は町人共へ利安に貸付け、両川口の修
繕にあてたといふ事実があるが、「四朱利銀」の起原や沿革は一
向分りません。自分は先年幕末の大阪町奉行一色山城守旧蔵の反
故類を買入れましたが、その中に「諸御貸付廉書」と題する一冊
がある。御貸付銀の名称が色色記してありますが、名称だけで実
質はどういふものか何分判明しません。町奉行所で取扱つても決
して公儀の金ばかりではなく、公益の意味で民間の金を預つてや
る分もあつたやうです。
ミヤウモクキン
宮家・門跡・寺社の貸付金を名目金といふ。幕府の許可を得て、
資金を武家町人に貸付けて、その利益を以て修繕その他の経費を
支弁する意味ですが、内実は背後に金主があつた。故に名目金は
願主出資の種金と、金主の差加金とより成るといつてよい。名目
金について出訴すると、同一被告に対して外に幾口の金銀出入が
あつても、それを中止し、名目金の方の訴訟を取上げ、その返済
方を命ずる。これが名目金の強い所である。松平楽翁公はその
「庶有編」に於てひどく名目金を非難し、これは最初から延滞す
ることを考へ、高貴の名目をつけ、是非返させる積りで貸すので
あるといつてゐる。名目金といつても、利子は公定の利子より高
くすることは出来ないが、貸付所があつてそこに役人が控へて貸
付事務を取扱ふのであるから、礼金とか筆墨料とかいつて利息の
外に徴収することが出来た。天保十四年にその禁令があるのは、
今迄礼金や筆墨料を取つた証拠になります。
タカブカシ
高利貸(上方では高歩貸)といふものがある。何割何分以上を
高利とするか、難しい問題です。幕府の高歩貸御仕置当によると、
四両につき一分(七割五分)の利をとるものは遠島、五両一歩
(六割)位より九両余迄の分は追放、十両一分(三割)位の分は
咎がなかつたが、文政五年より百日手鎖の罪と決められた。さす
れば手鎖以上の咎に当るやうな利息を以て高利と認めたのである。
悪所通ひの金子に手支へた富商豪家の息子、一六勝負をする博
奕打、法外の利益を得る商売屋、また質草もない貧乏人などは高
利を厭はず借りる。第一の場合の貸金を大尽金といふ、当人の父
兄の資産や名誉を担保にして貸す。烏金といふのは夜が明ければ
返す、烏が啼けば返すといふ意味で、極めて短期の貸借を指す。
百一文といつて朝に百文を借りて夕に百一文にして返すのは行商
人等に便宜である。日なしといふのがある。毎日元利をなし崩し
ロクサイ
に返すのでこれは貧乏人が借りる。六斎といふのは日なしの一種
で、毎月一六の日とか三八の日とか、月六回に返すもので、例へ
ば一貫文を借りて毎回二百文づゝ六回に返すのをいふ。また座頭
金といふものがある。これは高利で、もし返さなければ座頭が多
人数連立つて玄関なり店先なりへ座り込んで大声で催促する。御
家人などはよくこれを借りたといふ。
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