Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その114

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第六 御用金 (4)管理人註

御用金下命 の理由 御用金差加 金上金総高

 そこで御用金下命の理由をこの申渡中から見出すと、「此の上 窮民御賑恤、その外普く御仁政を播かせられ度」といふことで、 実は甚だ曖昧である。一体今度の御用金は本年五月に西町奉行の 久須美佐渡守が出府中、老中水野越前守から内意があつて、追つ て羽倉外記を上方へ遣はす、その重なる仕事は御用金であるから、 外記が参つたら宜しく相談して取計らふように、尤もそれまでは 一切口外してはならぬと言はれた。越前守の腹中には勿論御用金 使途の目的はあつたのであらう。外記も或は知つて居たかも知れ ぬ。然るに上方表の御用金がまとまり、その報告書が江戸へ到着 した日、即ち閏九月十三日に越前守は免職となり、間もなく外記 も小普請入となつてしまつたので、結局判然しない。越前守が免 職になつた翌月に、勘定奉行等が次ぎの老中首席土井大炊頭利位 に対して御用金の始末につき内意を伺つた書面に、越前守殿在職 中馬喰町御貸付金仕法替につき、その欠損を補充する方法として 上方へ御用金を命ずる方法はないか、ありとすればそれを御貸付 元金とするといふ御書取があつた。併しそれなら約二十万両か二 十五万両もあれば足りるとある。越前守が外記に申含めた御用金 の予定高は百十万両といふ高で、もし二十万両か二十五万両で済 めば、それを差引いた残りの八九十万両は何に使ふつもりであつ たか。越前守が勘定奉行へ下げた書取の文面も残つてゐないし、 越前守その人も免職となつてしまつたので、甚だ遺憾ながら詳細 の事情が分明せぬ。  【水野忠邦肖像 略】  天保度の御用金は大阪の外、堺・西ノ宮・兵庫の町人へも命ぜ られ、用金を命ぜられないもので差加を願つた分は用金と同様に 取扱はれ、それから上金といつて上納を申出でたものもある。そ の金額を調べてみると驚くべき高で、三口合計銀六万八千九百九 十九貫四十四匁、金に換算すれば百十四万九千八百二十二両余と なる。  従来とても御用金を分割して納めたことはあるが、比較的短い 期間に納めたので、年賦納といふやうなことは曾てなかつた。今 度の御用金は三ケ年賦五ケ年賦、一番長いのは十ケ年賦である。  大阪外三ケ所町人御用金高・差加金高・上金高表
  御用金高人員 差加金高人員 上金高人員
大
阪
     貫   匁
五七、九八五.五〇〇
三五四
    貫   匁
三、五七九.四〇〇
一四七
        両
金  一五、四一〇
    貫   匁
  二〇二.六八四
一九三

 四、二一八.五〇〇
 九三  
        両
金     五〇〇
  七
兵
庫

   九二三.〇〇〇
 一四

  七八三.二五〇
 八二
        両
金     二四〇
    貫   匁
    三.〇〇〇
 一四
西
ノ
宮

   三二五.〇〇〇
 一五    
     貫   匁
六三、四五二.〇〇〇
四七六
    貫   匁
四、三六二.六五〇
二二九
       両
金  一六、一五〇
    貫   匁
  二〇五.六九四
二一四

 


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