Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その117

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第六 御用金 (7)管理人註

上金と追増 金

 彦次郎の説諭の後年に見える用金上納金の区別は何としても腑 に落ちません。用金なら返遠の期限や利子の約束がなくてはなら ぬ。幕府では最初上納金と切出したが一向振はぬので、止むを得 ず一部は上納金、残部は割下を許すとして、上納金と用金との二 口に姿を変へたものと考へます。併しながら用金といふ言葉を使 はず、差加金或は追増金の名を用ひて居る。さうしてその返還法 は追つて沙汰するとあつて頗る心細いものでしたが、兎に角返還 があるといふので少しは人気が直つた。翌安政元年正月になつて 彦次郎はまた一同を呼出し、その方共の申出金額は江戸表から申 越された金高とは大分隔りがある。せめて天保度用金の半額に達 するやうにと勧めて居る。「こゝの処をよく聞きわけて、乍迷 惑頭かき\/熟慮致しくれやうよろしうたのむ……斯様の事共 度度の儀にて、此方共も言ふのが口に砂を噛むやうに思へども、 役目の事故是非なき次第」などと甘くいつてゐる。  御買米にせよ、御用金にせよ、町奉行の方から富商豪家を指名 して命ずるのが例でしたが、今度は家持借家人を論ぜず、広く上 納を許し、殊に先般仲間組合の再興を許された御恩に報いんとあ らば、仲間申合の上、上納するも差支なしと申渡したため、何町 また何仲間と、多人数一団となつて出金した分もある。表面から 見ると如何にも殊勝に見えるが、内実は町年寄家主共が奔走して、 嫌がる借家人を無理に献金仲間に入れたこともあるやうだ。漸く 六七月になつて片付いたのであるが、金額は銀三万六千二百三十 二貫八百九十一匁一分九厘、天保度御用金の二分の一を少し過ぎ てゐる。尤もこれは大阪ばかりでなく、兵庫并びに西ノ宮町人共 の上金及び追増金を合算した総高で、その内訳は上金一万三百三 十六貫六百八十一匁一分九厘、追増金二万五千八百九十六貫二百 十匁となる。

 


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