Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.11.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その119

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第六 御用金 (9)管理人註

請高の内容 元治元年の 御用金

 万延度の御用金高は天保度のそれに達した。併しこの金額が新 に大阪町人の懐から出るものと思つては大間違で、この中に嘉永 度の追増金が含まれてゐる。安改元二(寅卯)に差出した二年分 は上金であるから、勿論幕府は取放しでよいが、安政三・四・五・ 六(辰・巳・午・未)四ケ年分は追増高であるから幕府の借金で、 幕府はこれを返却すべき義務を有してゐる。そこで幕府は万延度 御用金の請高中に前記四ケ年分の金高を包含せしめ、特に市民に 諭して辰巳ニケ年分を献金に改めしめて債務を帳消とし、午未二 ケ年分を万延度御用金の第一回分(申年分)に振替へしめ、残余 を九ケ年間に分割上納せしめることゝした。即ち万延度御用金総 高の中から安政辰・巳・午・未の四ケ年分を減じた残額が、新に 町人の負担となる訳である。嘉永度追増金の未納額四回分は勿論 免除で、これで嘉永度の上金追増金一件は全く帳消となつた。  万延度の御用金は右の如き始末で、文久元年(酉)に第二回分、 二年(戌)に第三回分、三年(亥)に第四回分を納めた所、そこ へ又元治元年(一八六四)の御用金令が下つた。これは第一回長 州征伐の軍用金に充てるためであつたから、大急ぎで決定した。 九月中旬に呼出して翌月の中旬に決定した。呼出した人数も百余 名といふ少数で、当十月より明年五月まで月割を以て上納せよと 命じ、それに一年四朱の御手当を下さると申渡した。上納期限と いひ、利率といひ、前例破りである。かくて銀高二万六千九十五 貫目、この口数百四口は迅速に定まつた。然し是等の人人は一方 には万延度御用金分割上納の義務を背負つてゐる。子丑両年は万 延度の年割上人と今度の月割上納と両方とも納めねばならぬ。難 渋この上ないといふ彼等の歎願を容れ、万延度の二年分を後廻し とした。即ち万延度第五回分及び第六回分(元治元子年分・慶応 元丑年分)上納の一時延期を許し、第七回分以下第十回分を予定 の如く上納した後で上納することとした。

 


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