御用金を申渡したその月に、大阪町奉行所は蔵屋敷に対し、実
際廻着した米高の外に、空米過米を書加へて売買してはならぬと
申渡してゐる。蔵屋敷で廻着米以外に空米を書加へ、有米高より
過米の切手を売出し、その不都合をかくすために、過米切手の分
を買戻す、これは正米直段は勿論切手米売買に影響して宜しから
ぬから差止めるといふのである。空米切手の禁は百年も前の承応
年間にある。承応宝暦の間にどういふ取締法があつたから分らぬ
が、空米切手は有米高を増加する意味で、米直段を安くすること
は当然な帰結である。延享の末から宝暦へかけていかにも米が安
い、それがために終に御用金を課して買上米をなさしむる程であ
つたから、一方で喧しく空米切手を禁じたのも道理です。併しな
がら現在蔵屋敷にある米でなければ切手を出してはならぬとすれ
ば、本国から大阪まで海上数百里を隔てた国々は、国元を積出し
てから大阪に着くまでに日数がかゝる、その間蔵屋敷では金融の
便を欠く。そこで宝暦十二年に至り、海上運搬中の石数は町奉行
所に届出の上、これに該当する切手を発行することを許し、到着
の上は売買双方並びに米方年行司立合見分の上、町奉行所へ届出
で、町奉行所では前の届書と対照して、相違なきや否やをたしか
めることゝしました。
宝暦十一年令の出る以前に発行されて居た空米切手―調達切手
といふ名称を用ふる場合もある―はどの位あつたか分らないが、
兎に角それは最初銀子を用立て、切手を請取つた者が所有するだ
けで、他人に売買してはならぬ。若し本人以外にそれを所持して
蔵屋敷へ売戻すものがあつたら処罰する。切手整理については蔵
屋敷と切手持主と相対にて談判せよ、町奉行所に出訴しても受理
せぬと命じた。明和四年(一七六七)のことです。
前記両度の取締で空米切手は市場から姿を隠した訳ですが、実
際に於ては矢張り空米切手があつて蔵出が渋滞する。切手を持つ
て米を請取に行つても、何とか彼とかいつて米を渡さない。実は
渡すべき米がないからである。止むを得ず町人から蔵屋敷を相手
取つて出訴しても、相手は何分歴乎とした大名で、まさかこれに
身代限を命ずることも出来ない。そこで安永二年(一七七三)六
月に自今蔵出延滞につき訴出でたならば、米切手は公儀で買入れ、
代金を切手主に渡し、切手面の米高は蔵屋敷から公儀へ取立てる。
若し渋滞したならば蔵屋敷役人は勿論本国役人をも呼出して厳重
に処分すると申渡した。この官銀入替は天明二年(一七八二)ま
で続いた。どれだけ入替をしたか、またその米切手をどう処分し
たか、遺憾ながら分りません。
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