Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.12.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その134

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第七 米 (12)管理人註

米仲買株 仲間の取締 会所と寄場 正米商

 堂島の仲買株に享保度に三回に亙つて約千三百株が許された。 彼等は堂島十五町に限つて住居し、その中で帳合米のみを売買す るものを帳合方といひ、正米及び帳合米を売買するものを問屋と いふ。問屋はもと古株即ち第一回許可の株札を有する者に限つて 居たが、後には資産の多少によつて、多きを問屋、少きを帳合方 と称するに至つた。  株の譲渡は親子親類間、又は手代十年以上勤続し、主人の証文 を得て別家する者に限つて居た。株札を質物とすることは厳禁で ある。  仲買全体の取締として米方年行事といふものが五人居る。それ から年行事加人といふものが三人、加人はいはゞ定員外に増置せ られた年行事である。年行事及び加人は毎年十二月の交替で、本 年の年行事が翌年の年行事及び加人の候補者を申立て、それを町 奉行所で任命する。年行事の仕事は外に対して浜方を代表し、内 に対しては浜方の取締をする。公辺から浜方に対する命令は、必 ず年行事を召して伝へ、仲買共から米筋に関して出願しようとす る時は、必ず年行事の奥印が必要で、年行事の奥印のない書類は 町奉行所で受理しない。年行事は勤役中一役を免除せられ、また 仲間中より銀若干を袴摺料として貰ふが、勤役中は自分の名義で 売買する事が出来ない規定であるから、中には病気辞任を申出づ る者もある。年行事の下に月行事がある。これは毎町に一人で毎 月交代する。  年行事が出勤して事務即ち株札に関すること、売買上の紛議の 裁判、また相場の書上等を行ふ所を会所(堂島船大工町にあり) といふ。会所の内に消合場といふものがあり、遣来両替屋が此所 へ出張して取引の記帳、差金の清算等をする。会所の守は水方の                     ヨリバ 筆頭がする。水方とは年行事の指図を受けて寄場(堂島浜通一丁 目にあり)即ち売買の場所に出勤して雑務をとる者をいひ、上役 四人下役十人前後ゐる。寄場は三つに分れ、東が正米商、中央が 帳合米商、西が石建商の場所である。この寄場に掲げる看板には 毎日掲げる看板と正月・三月・五月・九月・十月の初相場(五節 句)に掲げる看板と、三季建物替初市毎に掲げる看板と三通りあ る。要するに市場の立合は規則を遵守し、これに違背すべからず といふのが主意である。  正米商は正銀で買付け、切手を以て売ることである。何国米を も売買し得る訳ではあるが、通例建物米の切手を売買し、即日代 銀及び切手の授受を済ますのを原則としてゐる。相対の約束で翌 日渡或は何日目渡とすることもあり、寛政以後は四日目を期限と してゐる。売買は仲買自身の思惑または客方の注文によつてこれ を行ふ。百石を標準とする売買を丸物商、その以下を端物といひ、 十石を最小額とする。丸物と端物とによつて口銭に相違がある。 丸物は百石につき銀十匁、端物なれば十石につき一匁五分を客方 から仲買に与へる。寄場の開始は朝五ツ時(午前八時頃)水方が 拍子木を打つてこれを報じ、それから半時か一時たつてから再び 拍子木を打つ。その時言合番(正米売買をする仲買中から毎日二 人づゝ交代でこれを勤む)が平均相場を聞きあはせ、年行事に届 出で、年行事から町奉行に届出でる。これを言合直段といふ。そ れから尚売買をして四ツ過又は昼過(十時―十二時)に終る。そ の時の相場を引方直段といひ、引方直段と当日の諸家の払米落札 直段とを参酌して翌日の寄付相場が立つのです。売買が済んでか ら一定の期日になつて切手を持参して代金を取りに行くのを真取、 代銀を持参して切手を取りに行くのを逆取といふ。甲が乙に真取 でも逆取でも取りに行つた場合に、乙に正銀なり切手なりがない けれども、乙が丙から請取る正銀か切手があれば、その請取方を 甲にまかせることが出来る。これを鼻をふるといふ。丙から丁、 丁から戊と順々に鼻をふる時は、甲は鼻先に取付けに行かなけれ ばならぬ。その間には日数がかゝるから、売買当時の直段と済合 当日の直段とに差額が生じる。それを直間銀といつて、五節句の 前日に甲乙の間に差引勘定をする。

 


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