Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.2.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その148

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第九 株仲間 (2)管理人註

大阪商人の 江戸商人に 対する貸越

 天保十三年三月、即ち九店の出来る少し前に、阿部遠江守が大 阪表に於ける売買の流弊を、詮索して、その改正方を建議した長 文の書面がある。題して「諸色取締方之儀ニ付奉伺候書付」(大 阪市史第五巻所収)といふ。遠江守は同書において、大阪商人が 江戸商人に対して貸勘定になつてゐることを述べ、二十四組の中 で、十組を除き、残りは皆江戸に貸越となつて居る。尤もその貸 越の始まつたのは文化度・文政度・天保度と色々あるが、要する に天保十三年までの貸付総高十六万四千両余に達し、かくの如き 大金の滞があつては荷物の積込の減少するのは当然である。元来 大阪・兵庫・西ノ宮等で江戸積(酒を除く)をするものは皆二十 四組に加入してゐる。その取引仕方は江戸の十組問屋からの注文 に応じて買次ぐのもあるし、注文の有無に拘はらず銘々の見込を 以て送るのもある。注文の分は多分差直で、たまさか差直の無い 分は、その時の大阪の相場で買次をする。口銭は品柄によつて異 同があり、一概にはいへないが先づは薄口銭で中には無口銭の分 もある。それから送荷物、即ち大阪商人の見込で送つた品物は、 江戸で仕切つた相場で代銀を受取り、之に反して大阪問屋の元払 は即銀仕切である。それを追々に江戸に積廻すので、よし江戸問 屋から受取る代銀が滞つたとて、少分の事なら、年来の取引とい ひ、敢へて積口に影饗する所はないが、文化以来段々に嵩み、大 阪問屋も終に手元窮迫して止むを得ず江戸積を休む、休まないで 取引は続けても、代銀の延滞を危み、自ら手を縮め、江戸問屋の 注文通りに廻さない。送荷物も同様である。かくては大阪積口は 次第に減少し、江戸は諸色の潤沢を欠いて、直段は愈々騰貴する ばかりであると。  遠江守は更に一歩を進め、此度江戸で株仲間の解放があつて取 引が手広となつたこと故、精々積口を励むやうには世話するが、 何分にも莫大の滞銀であるから、大阪問屋が懲り果てゝ不安の念 を去らず、それ故今一段といふ処で説諭が行届かぬ。江戸問屋で 右の滞銀を急速でなくとも、確かに返弁するといふ趣をこの際大 阪問屋へ堅く約束し、また将来の仕切為替等の渡方は決して遅滞 せぬやう、何とか江戸町奉行で世話し、その上でも実際に滞つた ら、当方から江戸町奉行に掛合つて相当の取計をしてやることと し、何れにしても代銀の速に渡るやうにしてやつたら、人気も引 立ち、積口も進み、御府内諸色潤沢、直段平均といふ境に到るだ らうといつてゐます。

 


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