株仲間ある
故に諸色高
値なりとの
説
株仲間発生
の原因
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株仲間は商売を襲断する。直段の高低は株仲間の容易に左右し
得る所である。株仲間あるがために諸色が高直であるといふ説は
中々有力であつた。既に太宰春台の経済録(享保十四年著)巻ノ
五にも問屋の弊を述べてゐる、「四海広しと雖ども、掌を握たる
如くに価を貴賤にするは、党を結ぶと駅使の行来便利なるとの故
也」とある。その後寛政年間に大阪の中井竹山が松平楽翁公に内々
で上つた草茅危言巻ノ三にも「二三十年来諸株運上の事盛に起り、
その座のものは運上金を弁ずること故、物価を高くせざることを
得ず、又その株の者党を結で利を専にすること故、ます\/価を
高くして大利を得れども、外人は屈を受て喫虧するのみ」とある。
以上両学者の説は簡単に株仲間の存在の不可なる所以を論じただ
けですが、東湖随筆に見える藤田東湖と矢部駿河守(江戸町奉行)
との問答は、余程事情を穿つて居る。駿河守の後に、十組は神祖
以来建て置かるゝもので不正なものではない。けれども近来にな
つて世上で十組を悪むのは、畢竟は官府が悪いのである。今迄大
阪から江戸へ商品を運送する船は菱垣樽の両廻船であつた。然る
に紀州家の申立により樽船停廃、菱垣一方積となつた。何故紀州
家で左様な申立をなされたかといへば、紀州家が幕府へ返却せね
ばならぬ金子の才覚に詰つて困惑して居られる所へ、杉本茂十郎
なる奸商が入込み、菱垣一方積の説を立て、紀州家の口を仮つて
それを成就した。現在幕府は勿論上下一統が難渋するやうになつ
たのはこの時からであるとある。駿河守は名を定謙といひ、良吏
の聞のあつた人だ。水野越前守と意見が合はず、株仲間廃止の同
月(十二月)に免職になり、桑名へ御預となり、同地で食を断つ
て死んだ。駿河守の説は菱垣一方積が悪いといふので、これは一
見識ある見方です。後に十組問屋を解放した時、同問屋に対し、
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文政以後紀州家より拝借して居る天日の船印は差障があるから、
早速同家へ返上し、将来決して使用してはならぬと命じてゐる。
紀州家と茂十郎との間には仮令駿河守がいつた通りでなくとも、
何か深い関係があつたに相違ない。
凡そ仲間の出来る原因は、(一)自分共の利益を保護するため
に同業者が相集まつて仲間を作るのと、(二)官府から取締の便
宜上、同業者に命じて仲間を作らしめるのと二つである。私に作
つた仲間が官府の承認を経ればそれが即ち株仲間である。株仲間
は通例営業独占の特権を有し、株数を制限し、年々一定の冥加金
を納め、名前判形帳を上り、また仲間申合帳を作つて内部の統率
を計るのが通例である。但し或は年限を限り、或は場所を限つて
許された株仲間もある。年限を限つて許されたものは期限が尽き
ると継続を出願し、場所を限つて許されたものは出願の上、他の
場所へ流用し得る場合もあつた。
株仲間の特権は営業の独占である。仲間に属しないで、それと
同じ業務を営むことは断じて出来ない。若しこれを営むものがあ
れば、仲間から直ちに町奉行所に出訴して先方の営業を差止める。
その訴状中に必ず当方家業に差支へ云々といふ文句が見出される。
この文句は非常に有力で、屹度原告の勝訴となる。この独占催を
悪用すれば、物資の分配も価格の高下も自由にすることが出来る。
株仲間に対する非難攻撃はこゝにあつたといはねばなりません。
以上は株仲間が個人に対する訴訟であるが、時として甲仲間が
乙仲間を相手取つて営業侵害を訴へることがある。一例をいふと、
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大阪雑喉場の生魚問屋と靱の塩魚問屋との訴訟の如きは数年間続
いた。生魚塩魚といへばいかにも明白な区別があるやうであるが、
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愈々となるとどちらに属するか、判断に苦しむものがある。生節・
煎雑喉・かますごの如きもので、それがため数年も訴訟が続いた。
奉行所の方でも決して判決を急がない。理非曲直をきめるより
「下にて事済」即ち原被両告の和解によつて願下げとなるのを理
想としてゐた。
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