Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.2.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その153

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第九 株仲間 (7)管理人註

株の譲渡 大阪の株仲 間 江戸の株仲 間

今大阪城のある地点に石山別院を置いた時から始まるといつて宜  仲間申合の中で特に目立つのは株の譲渡に関する規定です。株 の譲渡は親子譲兄弟譲が一番普通で、その次ぎが親類縁者または 手代奉公人(主人の推薦による)となります。若し株数に制限が あれば、新加入希望者は明株を譲り受けねばならぬ。親子譲にせ よ、その他にせよ、加入の場合には加入料を出す。勿論親子譲の 加入料はその他に比すれば安い。顔見世銀又は樽代をとるのもあ る。前者は披露の意味、後者は酒代の意味ですが、中には実際御 馳走をするのもある。すべてこれ等は仲間仲間で勝手に極めるの です。                ヤスミ  株に関して色々の言葉がある。休株とは営業の都合により休業       アキ             マシ して居る株、明株とは営業者の存しない株、増株とは従来の定数             アガ 以上に新に増加された株、上株一名取上株とは犯罪等によつて            ツリ 官府に取上げられた株、釣株とは将に上株とならうとする時、 仲間の歎願によつて仲間全体に預けられた株、これは他日適当の 希望者に譲り渡すことが出来る。  大阪の株仲間で一番古いのが質屋で寛永十九年(一六四二)、 その次ぎが古手屋と古金古道具屋で両方共正保二年(一六四五) である。以上三商の取扱品には盗難品が混じ安い。盗難品から調 べ上げて盗賊を捕へる。警察上の必要といふ所から前記三商は早 く仲間を許されたものでせう。  それから大阪では元緑以来方々に新開地が出来た。その新地繁 栄の策として茶屋・煮売屋・風呂屋・湯屋・髪結床・芝居・旅寵 屋株などが許されてゐる。これ等は株といふものゝ一種特別な営 業で、商人の組合職人の組合とは訳が違ふ。普通の株仲間即ち商 人職人の組合は、明和・安永・天明、所謂田沼時代に許された分 が多い。文化初年の調査によると、大阪の株仲間は百以上もある。 それには二十四組江戸積問屋仲間を一つに数へてある。もしこれ を二十四とすれば、百二十余あつたことになる。  江戸でも質屋・古着屋などは古くからあつた。辻々橋々へ出て 古金を買つてはならぬといふ法令もあるから、古金買もあつたに 相違ない。然し質屋古着屋の惣代が出来、市中の質屋と古着屋と が惣代から鑑札を貰つて営業したのは元禄年間である(質屋は元 禄五年、古着屋は同十四年)。或はこれを仲間組織の発端と見る べきか。但し或る種の営業者に鑑札を渡し、これを所持しない者 の営業を禁じ、さうして札銭を取つたことは元禄からずつと前の                       フリウリ 万治二年(一六五九)に見える。もつともそれは振売商人と髪結 とです。振売人は今の行商人で、店鋪を有して定住して居る商人 ではなく、また髪結は一種特別な営業ですが、鑑札交付を以て仲 間組織の第一歩と見ることも出来るでせう。  江戸では享保寛政両度に諸商人諸職人に命じて組合を作らしめ たものが六十三組ある。それに文化年間に十組が分れて六十五組 となつたから、以上を合計すると大阪同様百二三十組になります。

 

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