諸色直段の
引下
銭の御定相
場
極端な干渉
天保改革の
失敗
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幕府はこの二回の触書で歴史ある諸株諸仲間を解放してしまつ
た。第一回の十二月令を見ると、十組問屋に不正の趣があるから、
十組問屋は勿論、その他の仲間組合も解放するとあつて、十組以
外のものは十組の飛沫を受けたやうに見える。然し第二回の触書
を出したその三月に、江戸の名主中から諸色掛名主四十一人を命
じ、問屋・組合・仲間を停止せられたのは、諸色下直に相成り、
軽き者共渡世致し易きやうにとの厚き御趣意である。今度その方
共を諸色掛に命じたのもこの意味であるから、能々支配内に教諭
を加へよ。諸色の直下といつても、何品を何程と奉行所から沙汰
するやうでは、数多の商品の中には差支も起るだらうから、右等
の仕法を勘弁して申立てよと申渡して居る。これによれば十組の
解放も十組以外の株仲間の解放も、物価を引下げ、生活を安定な
らしめるのが根本の目的で、決して前者の解放が後者の解放を惹
起したものではない。
諸色掛名主の尽力により、追々諸色直段の引下が行はれたが、
然し品によつては一向直下もせず、また表面は直下をしても内実
品質を劣らせ、枡目掛目を減じたものもある。それでは折角の御
趣意が行届かぬとあつて、五月半頃に諸色直段引下令を出し、そ
れが月末になつて大阪でも発布された。銘々御城下に安住し、御
国恩を以て無異に家業を営んで居る冥加を考へ、正路に売買せよ。
万一利得に泥み、心得違のものもあらば、役人を派してその品を
買上げしめ、厳重の沙汰に及ばう。銘々速かに元方に掛合つて直
下を行へ。若し掛合行届かず、どうしても直下が出来ぬといふな
ら、掛合書を証拠として月番の奉行所へ出訴せよ、吟味の上、元
方に不埒の筋あらば厳重に処分すべしといふ意味です。
本令には物価を引下げよとあるだけで、その程度は分らない。
併し大阪では六月になつて卸売より小売に至るまで何品によらず
従前の直段より二割以上を引下げよ。貸金銀の利率・家賃・細工
手間・手伝日雇の賃銀、その外とも同様に引下げよ。但し必ずし
も二割以上とあるを標準とするに及ばず、一分の働で三割でも四
割でも、減ずれば減ずる程御趣意に叶ふ次第である。卸売直段何
程、小売直段何程と貼紙か小札に認め、銘々の見世先に差出し、
衆目に触れるやうにせよとあります。
江戸では表面二割以上引下といふことは見えない。諸色掛名主
に命じ、各自分担して商品の引下直段を調査報告せしめたが、何
分当時銀相場が安い、小売はすべて銭で勘定するから銭相場が安
いと小売相場が高い。よつて八月になつて銭相場を金一両につき
六貫五百文と定め、かくの如く銭相場を定めてやるから諸色を直
下げせよ。これでも御趣意の趣を等閑にするならば、当人の不埒
は勿論であるが、畢竟町役人の諭方の不行届によるものであるか
ら、町役人迄曲事に申付くるといふ厳命を下した。「物価書上」
といふ写本に当時の引下直段が色色記載されて居る。糸類・茶・
紙・酒・酢・醤油・味噌・砂糖・蝋燭・薪・炭等の日常必需品は
よいとしても、蒲鉾・半ぺん・煮豆・豆腐・線香、かやうな些細
のものまで一々引下直段を届出しめたのはどうであらうか。天保
改革の失敗は煩些といふ点が確かに一原因であつたと思はれる。
尚この物価書上にある届書は八月のものばかりでなく、九月のも
の、十月のもの、翌年及びその以後のものも数通見えてゐる。八
月以後価格の変動を一々届出でしめたのであらうが、これでは営
業の自由が殆どなくなつたと申して宜い。商品にはすべて正札を
つけよ。帳面には買直段売直段を文字で記せ、符帳は一切用ひて
はならぬ等と令してゐるが、これ等は干渉に過ぎると思はれます。
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