Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その83

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第四 江戸大阪間の交通
  二 廻船 (10)
管理人註

新綿番船  酒番船

 株仲間廃止中に大阪の廿四組の中重積(重要なる積込品の意) の九品、即ち綿・油・紙・毛綿・薬種・砂糖・鉄・蝋・鰹節を取 扱ふ商人等を九店と称し、貨物運送の法を設け、九品以外の積荷 を取扱ふものは十三店となつてこれに附属した。九店には毎店二 名の世話番を設け、二ケ月を任期とし、交替で九店内の事務を処 理し、併せて十三店の取締を兼ねた。江戸でも九店を設け、大阪 と同様に世話番を置いた。  九店の組織が出来てから新綿番船といふ事が始まつた。番船と は目的地到着の一番・二番を争ふ意味で、必ずしも九店設立以後 でなく古くからあつたといふ。然し少くとも九店設立以後盛んに 行はれるに至つたといへよう。蓋し新綿江戸到着の遅速は綿直段 に非常な影響があるから、荷主は一刻も早く荷物の目的地に到着 せんことを欲し、船頭を奨励して運用の秘術を尽くさしめたより 起つたもので、廻船業の発達に寄与する所多かつたは疑を容れな い。毎年八月下旬より九月朔日までに大阪の九店世話番から江戸 九店世話番宛に書面を発し、その同意を得て本年の番船隻数を定 め、一方にはその船名を江戸九店・廻船問屋並びに番船到着の前 後を定める浦賀問屋に通知し、また一方には荷主へ対し、船頭 誰々、廻船問屋誰々の船を以て本年の番船と定めた旨を通知して 荷物を集める。荷物の積込が済むと、出帆盃といつて出帆の前日 に世話番・荷主・廻船問屋以下一所に集合し、籤を引いて船頭の 番号を定める。大阪出帆まではすべてこの番号に依る。さて出帆 当日になると九店一同で見立船を出す。その船の柱に送切手を縛 りつけ、船頭を切手場に番号の順に並ばせ、合図と共に船頭は送 切手を我勝ちにとり、急いで艀船を漕がせて本船に飛乗り、直ち に錨を抜く。この勇ましい景況を見物しようと大変な群集であつ た。浦賀の方では予め予定の日時に灯明台の下に見張船を出す。 その船へ送切手を差出した順次で一番二番を定め、船頭に証拠の 一札を渡し、その趣を飛脚ですぐ大阪及び江戸へ知らせる。二船 相並んで浦賀に入り、送切手を見張船へ投込んで先を争つたとい ふ話がある。どうしても二船の前後が決し難いので江戸九店廻船 問屋の総評となり、総一番次二番と一番を二つこしらへたといふ 話もある。かやうに船頭が死力を尽くして運用の妙を争ひ、さう してその得る所は何かといへば少額の賞金と羽織一枚とのみであ る。然しこれによつて翌年番船となる時、抜仕立と称して他船に 先立つて荷物を積入るゝ特権を与へられる。船頭は荷主の愛顧、 将来の利益を慮り、必死と相争ふのであつた。  綿番船と同様、樽船にも酒番船といふのがあつた。これは西ノ 宮を出て品川沖に入り、江戸の樽廻船問屋に送切手を差出す順次 で一番二番をきめた。

 


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