Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.9.15

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その86

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第五 金 融
  一 両替屋 (2)
管理人註

銀貨六種 銭座 銭五種 紙幣

 銀貨は目方を以て通用した。丁銀一個の目方は不同で、凡そ四 十目内外ある。金貨には両とか分とか朱とかいふ価がつけてある が、銀貨には価が附けてない。単に目方で通用する故、丁銀だけ では計算に不便である。そこで量目不同の小玉(小粒ともいふ) といふものがあつた。明和二年(一七六五)になつて始めて五匁 銀を鋳たが、この時も矢張り目方を示してゐた。然し同四年にな つてこの五匁銀は、銀相場の如何に拘はらず、十二枚を以て金一 両に代ふべしといふに至り、始めて価を附加せられたといふべく、 その後安永元年(一七七二)に至り二朱銀(南鐐)が鋳造せられ、 こゝに始めて純粋に表記の価を持つた銀貨が出来たのである。引 続き文政十二年(一八二九)に一朱銀、天保八年(一八三七)に 一分銀が出来た。故に徳川時代に出た銀貨は丁銀・小玉銀・五匁 銀を除き三種である。  銭座は寛永十三年幕府で寛永通貨銭鋳造のことを企て、芝の新 銭座及び江州坂本に銀座を置いたのが発端で、さうしてその翌年 水戸・仙台・吉田・松本・高田・長門・備前・豊後等各地に請負 人を置いて銭座の設立を許した。然しながら銭座は金座銀座のや うに永久的のものでなく、或る期間を限り鋳造を許し、期限が尽 きれば廃止せらるゝを常とした。また或る一地方に限つて通用を 許されたものもある。仙台通宝がその通用を仙台領に限られ、箱 館通宝が箱館・蝦夷・松前三ケ所に限られてゐる類だ。  銭は寛永通宝を主なるものとし、後世鋳造するものも皆銭文に は寛永通宝とあり、すべて一文銭であるが、宝永五年の宝永通宝 は十文に、明和五年の寛永通宝は四文に、天保六年の天保通宝は 百文に、文久三年の文久永宝は四文に通用せしめた。銭の質には             ズ ク 銅銭あり、真鍮銭あり、鉄銭がある。鉄銭の中銑鉄で作つたも のが一番劣等である。  紙幣は幕府では決して発行しなかつた。但し慶応三年兵庫に商 社を開き、百両・五十両・十両・一両・二分・一分六種の金札を 発行したが、この金札は民間一般に行はるゝに至らずして早く幕 府は瓦解した。然しながら諸藩または社・寺・組合等で発行した 紙幣は甚だ多かつた。通例諸藩で発行したものを藩札、その他を 百姓札といふ。これらは使用の範囲を限られてゐたから、使用に 不便の点多く、引換の確実如何によつて表記の直段とかなり開き のあるものが多かつた。

 


「江戸と大阪」目次2/その85/その87

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ