大阪では古くは金銭売買立会所といふものが高麗橋筋にあつた。
それが寛保三年(一七四三)に今の北浜の株式取引所の所に移つ
て金相場会所と称し、明治元年五月迄続いた。会所は門構の平家
造で、立会場の正面は一段高くなり、そこに十人両替の名代が二
名づゝ月番で出勤した。立会場で相場を立てるのは本両替屋の相
場役に限る。南両替屋や銭屋仲間は参観は出来るが、立会ふこと
は出来ない。立会は正月三ケ日と五節句とを除いて年中開かれる。
毎朝四ツ頃(午前十時)拍子木を打つて開門を知らせると、それ
まで門前の休憩所に待つて居た相場役が入場して立会を始め、十
人両替の名代は高場から場内を監視し、且つ売買を記帳する。立
会は半刻か一刻で、拍子木を打つて終了を知らせる。それでも尚
立会をやめぬ時は水をかける。拍子木を打つたり水をかけたりす
る雇人を水方といふ。銀相場は金相場が終つてからやる。立会の
仕方は金相場と同様である。
金銭相場の建て方は金一両または銭一貫文を買ふに銀何十匁何
分何厘を要するかといふ意味で、双方共銀目で呼ぶ。立会開始の
時の相場を寄附値段、終了の時の相場を引方値段、一日中の最高
最低値段を平均したものを中値段といふ。立会が済むと当日の相
場を黒塗の板に書いて高場に掲示する。両替屋の手代は先を争つ
てこれを写取り、銘々得意先へ行つてその店の相場帳に記入する。
売買に際し、売方は売一方、買方は買一方で、一人で両方は出来
ない。相場は金一両で建てるが、売買高は百両以上に限る。売買
はすべて即日限りであり、また必ず通用金に限る。故に通用金以
外の古金(外物、また打物ともいふ)の売買は市場閉鎖後に行は
れる。江戸為替の売買も同様です。
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