二 武家の金融
次ぎに大小の武家がどうしてその藩その家の財政を調理したか
といふと、大名は主として大阪で、また幕府に仕へた多数小緑の
武士は江戸で、その収入を金銀に換へたのであつた。
大阪の中ノ島・土佐堀川・江戸堀川等船付の便利な場所に蔵屋
敷と称して、諸藩の蔵物、主として米穀売却のために設けられた
屋敷があつた。その総数は時代によつて相違するが、大体一百内
外で、その中大部分は大名の蔵屋敷で、大名の外、寺社・高禄の
旗本・諸藩の老臣の蔵屋敷もあつたが、これは極めて少数であつ
た。
蔵屋敷の関係者に留守居・名代・蔵元・銀掛屋の四つがある。
留守居は屋敷の代表者、名代は表面上屋敷の持主であるが、大抵
名義上の持主であつた。蔵元は蔵物の出納を掌る役で、最初は留
守居が兼ねて居たが、後には町人を以て之に充てることにした。
それから銀掛屋略して掛屋ともいふ、これは蔵物の代銀を授受す
る役で、中には蔵元と掛屋とを一人で勤めて居るのもある。また
蔵屋敷はなくとも蔵元や掛屋や用聞を置いて居る大名もある。主
として山陰・北陸・奥州辺等の交通不便な土地の大名に多い。こ
の掛屋を両替屋が勤めてゐて扶持米を受けたり、帯刀を許された
り、種々の特別待遇を受けてゐる。鴻池屋善右衛門の如きは諸家
から受くる扶持米を合すると一万石に上つたといひ、その別家で
七十人扶持を貰つてゐたものもあつた程である。そんな風である
から競つて蔵元掛屋にならうとする。蔵元掛屋の名義はなくとも
蔵屋敷に出入して用をたすことを望む。これには両替屋もあれば
両替屋でない者もある。それ等が即ち用聞で、蔵元・掛屋・用聞
等を引括めて立入町人といふ。出入町人の意味です。
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