Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.8

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その95

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第五 金 融
  二 武家の金融 (1)
管理人註

蔵屋敷 留守居と立 入町人

   二 武家の金融  次ぎに大小の武家がどうしてその藩その家の財政を調理したか といふと、大名は主として大阪で、また幕府に仕へた多数小緑の 武士は江戸で、その収入を金銀に換へたのであつた。  大阪の中ノ島・土佐堀川・江戸堀川等船付の便利な場所に蔵屋 敷と称して、諸藩の蔵物、主として米穀売却のために設けられた 屋敷があつた。その総数は時代によつて相違するが、大体一百内 外で、その中大部分は大名の蔵屋敷で、大名の外、寺社・高禄の 旗本・諸藩の老臣の蔵屋敷もあつたが、これは極めて少数であつ た。  蔵屋敷の関係者に留守居・名代・蔵元・銀掛屋の四つがある。 留守居は屋敷の代表者、名代は表面上屋敷の持主であるが、大抵 名義上の持主であつた。蔵元は蔵物の出納を掌る役で、最初は留 守居が兼ねて居たが、後には町人を以て之に充てることにした。 それから銀掛屋略して掛屋ともいふ、これは蔵物の代銀を授受す る役で、中には蔵元と掛屋とを一人で勤めて居るのもある。また 蔵屋敷はなくとも蔵元や掛屋や用聞を置いて居る大名もある。主 として山陰・北陸・奥州辺等の交通不便な土地の大名に多い。こ の掛屋を両替屋が勤めてゐて扶持米を受けたり、帯刀を許された り、種々の特別待遇を受けてゐる。鴻池屋善右衛門の如きは諸家 から受くる扶持米を合すると一万石に上つたといひ、その別家で 七十人扶持を貰つてゐたものもあつた程である。そんな風である から競つて蔵元掛屋にならうとする。蔵元掛屋の名義はなくとも 蔵屋敷に出入して用をたすことを望む。これには両替屋もあれば 両替屋でない者もある。それ等が即ち用聞で、蔵元・掛屋・用聞 等を引括めて立入町人といふ。出入町人の意味です。

 


「江戸と大阪」目次2/その94/その96

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ