Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その96

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第五 金 融
  二 武家の金融 (2)
管理人註

大名の窮乏 借金政策

 大名が蔵物を売つてそれで一藩の経済を支へて行けば申分はな いが、多数の大名は皆借金を背負つて居た。大名の領地には表高 と内高との二つがある。表高は幕府から何十何万石として与へら れた所領で、内高はその所領の実際の高である。表面より多い所 もあれば、さうでない所もある。仮に内高が多いにせよ、その内 高は年と共に殖えるものでない。新田の開発等によつて時に殖え ることはあつても、生活の向上と相伴はない。収入が大して増加 しないのに生活の方はどし\/向上する。これが諸侯の貧乏とな つた主因であらう。世の中が太平になれば、干飯を噛り、濁水を 飲んで奮闘をした戦国時代の苦痛の反動として、俄に奢侈に流れ、 贅沢に陥る。元和偃武から六十年後の元禄になつてその風が現は れて来た。参覲制度は大名にとつては非常に費用のかゝる難儀な 制度であつたが、一方には幕府が諸侯を抑へつけて行く一大手段 であるので、到底廃止することは出来ない。大名は御手伝といつ て幕府から臨時に土木工事を命ぜられる。冠婚喪祭から日常の生 活に至るまで格式といふものがあつて、それを変ずることは出来 ない。借金してもこの格式を守つて行かなければならぬ。火災・ 水害・旱損等の災難も数々ある。それこれ色々な原因で大名の生 活は不足勝であつた。  財政の不足を補ふために種々の手段が講ぜられた。倹約は結構 であるが、永続せねば效が見えず、永続は甚だ困難である。紙幣 の発行は便利なやうだが、正金銀との引替が容易に行はれぬ限り は、表記の価格を維持することが出来ず、不如意の大名に豊富な 引換準備は到底望まれぬ。帰する所は借金より外に手段は無い。 そこで先づ臣下から借りる。家中の侍共に渡すべき俸禄の中、三 分の一なり、二分の一なりを借上げる。つぎに領内の百姓町人か ら借上げる。これを用金といふ。尚不足の場合は大阪の町人から 借りる。いづれにしろ一度借りたら、借金の皆済になる機会は殆 ど無い。もと\/収入が一定してゐるのだから、利足だけ払ふの すら困難で、仲々元金の償却へは手が届かない。利足がたまるの みならず、そこへまた新規に借金をする必要が生じるといふ訳で、 未来永劫浮ぶ瀬がない。かくして天保頃には大名の売物が出たと いふ話さへある。

     山崎闇斎の「盍徹問答」に、大名の財政取直の事が論じて ある。同書は元禄頃の著述であるから、もうその頃に大名の 財政は苦しかつたものと思はれる。京都の医師新宮凉庭が文 政十一年の春、某侯の家老の問に応じて述べた財政立直策が、 彼の著書「破れ家のつづくり話」に出てゐる。

 


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