大名が大阪で金を借入れる手続は所謂立入の町人一同へ頼むの
である。これを御頼談といふ。国元からわざ\/家老を派遣する
こともある。何れにしても藩主の代表者が立入町人一同をお茶屋
に招待し、手厚い饗応をしてその席で調達方を依頼する。この時
は招待せられた家々の主人及び名代が出席する。次に立入の中の
蔵元から外の立入に廻状を出し、今度は名代のみが集り、貸金割
当の相談に及ぶ。時として調達金の総高を値切る事もある。名代
等は立帰つてこれを家々の老分に報告し、老分の考で他家と交渉
するやうなことも時には出来する、さて相談が一決すると、立入
中からその旨を留守居に通知し、江戸送金の手続を取るのが通例
である。つまり大名が江戸に屋敷を構へ、参観中こゝに滞在する
のみか、妻子を常住せしむることが、如何に費用を要したかゞ推
知せられる。この貸金は三四朱乃至五朱の利息で、表面は信用貸
であるが、その実秋冬の廻米を返済の引当とし、その売上代金を
以て返金に充てるのだ。利息は少いやうであるが、利息の外に扶
持その外色々の貰ひ物があるから、貸主は甘い儲をする。然し場
合によつては貸倒れになることもある。三井高房の「町人考見録」
を見ると、元禄前後において京阪地方の富豪が大名貸の失敗によ
つて倒産した例がいくらもある。立入が数名聯合して貸附をする
のは貸倒れの場合に損害の負担を軽くする意味に過ぎぬ。
右に述べた所は極めて順当な貸借の場合であるが、決してさう
簡単な場合ばかりはない。従来の貸借関係が錯雑して来ると、蔵
屋敷の方では狡計をめぐらし、新に用達を命じてこれに借用方を
依頼することなどもある。そんな不都合をすれば、立入町人の方
でも聯合して、不信用な諸侯には絶対に貸出を拒絶する。新規な
用達も際限なく大名の依頼に応じかね、結局留守居から以前の立
入町人に詫を入れて貸金を頼むなどといふこともあつた。
借金の外に蔵屋敷のとつた金子調達の手段として空米切手の発
行がある。蔵屋敷では蔵米を入札で売却し、落札者に米切手を渡
し、その切手と引替に正米を渡すのが法であるが、売出した切手
額を一時に取付けられることは決してない。切手は市場を流通し
てゐるから引替までに時間がある。それを利用して実際持合はせ
てゐない米の切手を売出す。切手に正米切手・空米切手・又は調
達切手の名があるが、切手そのものに相違はないので、切手と引
替に米が渡れば正米切手、渡らねば空米切手、調達切手などとい
ふのである。
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