Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.10.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その99

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第五 金 融
  二 武家の金融 (5)
管理人註

米切手の交 付 米切手の売 買質入

 次ぎに落札者は予定の期日に至つて代銀を掛屋に持参し、その 請取証(銀切手)を得て蔵屋敷に持参し、それと引替に米切手を 得るのである。但し掛屋で直ぐに米切手を交付するものもあり、 また至急を要する場合銀切手で便宜上直ちに歳出をなし得ること もある。万一期限に至つて代銀を約めない時は、敷銀流返米と唱 へ、敷銀を没収し、蔵名前を取消すこと、無敷返米人と同様であ る。                     デマイ  米切手所有者は切手を蔵屋敷に持参して出米を請ふも、或はこ れを買持し、機を待つて売却するも随意である。但し買持には蔵々 によつて一定の期限がある。例へば売却した年の明後年四月(筑 前蔵)・明後年五月十五日(肥後蔵)・明後年三月二十三日(中 国蔵)・明後年二月二十日(鹿島蔵)・明年九月(加州蔵)とい        オヒダシ ふ風で、その期限が尽きると追出といつて正米を引取らなければ ならない。若し追出となつて尚買持を継続せんとする場合には、 十石につき一日一升五合乃至三升の番賃を出す。今の所謂蔵敷で す。  切手は売買質入をなし得るのみならず、切手を得る権利即ち敷 銀を掛けたまでのものを売買質入することも出来る。切手の売買 は堂島市場で行ふ。市場の正米売買は即ち切手売買である。              イレカヘ  切手を質物に取る両替屋を入替両替屋といふ。一ト口百石づゝ の代銀入替を行ふのは六軒に限られ、その他の多くは小口の入替 を行つた。                  ヒマハシ  利子は三月朔日から十月晦日までは日廻と唱へ、銀一貫目に日 歩一分二三厘であるが、十一月朔日から二月晦日までは春銀と唱 へ、四ケ月を一期とし、十貫目につき利子何百何十匁と定める。 春銀の利息の高いのは諸蔵新米入札の時期に当り、最も金銀の需 要が多いからです。切手入替による貸借は迅速の取引を要するの で、大抵証文を授受せず、利率も全く相対による。  米切手通用は「当地不申、他所他国まで聊無危踏金銀同 様に通用仕候」とあるから、大阪以外に行はれたことは確かだが、 どこまで通用したか、明言し得ない。天明五年(一七八五)に江 戸日本橋小網町一丁目に大阪表正米切手注文取次所といふものが 出来た。直接大阪へ買注文を送るものを除き、小額の米切手買入 を希望する人々のために創めた取次業である。

 


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